柳岡克子の生い立ち 57、下血

卓球のしすぎで障害者になった方を笑ってしまったけど、私も卓球を一生懸命練習したので足が痛くなった。
病院へ行って痛み止めの薬をもらった。
薬剤師ですから、お医者さんに一番強い薬を頼んで飲んだ。
患者様には「胃を悪くするからあまり飲まないように」と言っているのに、自分は痛みに耐えかねてたくさん飲んでしまった。
それで座薬に変更してもらった。
「8時間おきに1日に3回にしてくださいよ」と患者様には服薬指導しているのに、私は6時間おきに使った。
腸が悲鳴をあげた。
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柳岡克子の生い立ち 55、皇太子様、雅子様と握手

広島での大会は、和歌山県選手団としてユニホームを揃え、強化練習もあり県庁前で壮行式もしてもらった。
バスで出発したが、大会中は選手村と家族は別行動となり、せっかくの応援に来てくれた父母と弟は開会式を見てもらっただけで観光していたようだ。
前夜祭で県外の方とも友達になれた。
プログラムに沿って練習や試合の日取りが決まっていた。
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柳岡克子の生い立ち 54、全国身体障害者スポーツ大会に出場して

私は、障害者卓球をはじめてしばらくして、平成8(1996)年、第51回ひろしま国体の後、開催された第32回全国身体障害者スポーツ大会「おりづる大会ひろしま」の和歌山県選手として選ばれた。
「いのちいっぱい、咲きんさい!」を大会スローガンとして、全国の身体障害者が集う祭典だった。
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柳岡克子の生い立ち 53、台湾・ベルギーの大会に出場して

USオープンの後、銀行の監督だった宮崎義仁さんが私の出演したNHK教育「きらっといきる」のテレビを見て全面的に協力してくれることになった。
国体でメダルをもらうほど優秀な選手が揃っていた銀行の練習場で元全日本チャンピョン佐藤利香さん(明徳義塾中高女子監督)の指導を受けることができた。
愛ちゃんが同じ仙台出身として尊敬する選手だ。
福原愛選手は小学生の頃、ミキハウスジュニアに所属し、王子卓球センターでサーブを習っていた。
大阪で障害者の大会がある時には父武彦さん、母千代さんとコーチの黄さんと4人で来てくれ試合を見せてくれた。
車いすの日本代表岡紀彦選手に惜しくも敗れ泣いていたのが印象的だった。
私は、毎週土曜日の朝、銀行で練習できることがうれしくて、自宅に帰っても忘れてはいけないと8畳と8畳の間のふすまを外して塾のテーブルを並べ復習をした。
卓球部の生徒が塾にいたので勉強が終われば相手をしてもらった。
今思えば銀行での練習は、すごい方々に囲まれての貴重な時間だった。
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柳岡克子の生い立ち 52、スタジオ収録

6月30日、スタジオ収録の日だ。12時半にNHK大阪放送局到着。
父も弟も仕事休んでのミーハー家族。
着くなりロケ車の前でハイポーズ。
昨日の大雨はどこへやら。
少しずつ晴れてきた。
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柳岡克子の生い立ち 51、絵になる障害者

このように忙しくあっという間の3日間にわたってのロケも終了し、お世話になったスタッフの方とのお別れが来た。
ディレクターの織田さんは、これから局に戻って編集に入るが他の3人は、別の撮影で全国を飛び回るらしい。
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柳岡克子の生い立ち 50、母のインタビュー

5日、薬剤師の免許状と大会でもらった賞状やメダルを用意しておくように言われた。
盾やトロフィーは影になるからメダルを賞状の上においた。
優勝とクラス6と名前がクローズアップされるよう、レンズを替えてかなり至近距離から撮った。
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柳岡克子の生い立ち 49、卓球の練習の撮影

3時半、向かいのビルの屋上からわが家の入り口を撮ろうと構えた。
ところが、NHKとは別会社のアンテナが立っていてマズイということになった。
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柳岡克子の生い立ち 48、薬局での撮影

14日、車での出勤の様子を撮影したいというので私の軽の車に大きなカメラをかついで相馬君が乗った。
私の車のハンドルの右側にはレバーが付いているのをアップで撮った。
狭くて窮屈な車の中でハンドルと足を別々に撮るというので何度も同じコースを回った。
薬局に着くちょっと前で相馬君を降ろして、入り口にカメラをセットして入るところから撮った。
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柳岡克子の生い立ち 47、NHK教育テレビの撮影始まる

6月12日、土曜日夕方、機材を積んだワゴン車がわが家に止まった。
織田ディレクター、相馬カメラマン、音声の高田君、大川運転手の4人と少し話して、わが家の家族と一緒に夕食を食べた。
カレー事件ではよく和歌山へ来ていたらしい。
NHKと書いた大きな車で放送が30分の番組とはいえ、映像の部分は10分ぐらいの撮影に4日も4人のスタッフを派遣して大阪放送局から和歌山まで来てくれるという、力の入れように皆が驚いた。
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