柳岡克子の生い立ち 53、台湾・ベルギーの大会に出場して

USオープンの後、銀行の監督だった宮崎義仁さんが私の出演したNHK教育「きらっといきる」のテレビを見て全面的に協力してくれることになった。
国体でメダルをもらうほど優秀な選手が揃っていた銀行の練習場で元全日本チャンピョン佐藤利香さん(明徳義塾中高女子監督)の指導を受けることができた。
愛ちゃんが同じ仙台出身として尊敬する選手だ。
福原愛選手は小学生の頃、ミキハウスジュニアに所属し、王子卓球センターでサーブを習っていた。
大阪で障害者の大会がある時には父武彦さん、母千代さんとコーチの黄さんと4人で来てくれ試合を見せてくれた。
車いすの日本代表岡紀彦選手に惜しくも敗れ泣いていたのが印象的だった。
私は、毎週土曜日の朝、銀行で練習できることがうれしくて、自宅に帰っても忘れてはいけないと8畳と8畳の間のふすまを外して塾のテーブルを並べ復習をした。
卓球部の生徒が塾にいたので勉強が終われば相手をしてもらった。
今思えば銀行での練習は、すごい方々に囲まれての貴重な時間だった。
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柳岡克子の生い立ち 52、スタジオ収録

6月30日、スタジオ収録の日だ。12時半にNHK大阪放送局到着。
父も弟も仕事休んでのミーハー家族。
着くなりロケ車の前でハイポーズ。
昨日の大雨はどこへやら。
少しずつ晴れてきた。
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柳岡克子の生い立ち 51、絵になる障害者

このように忙しくあっという間の3日間にわたってのロケも終了し、お世話になったスタッフの方とのお別れが来た。
ディレクターの織田さんは、これから局に戻って編集に入るが他の3人は、別の撮影で全国を飛び回るらしい。
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柳岡克子の生い立ち 50、母のインタビュー

5日、薬剤師の免許状と大会でもらった賞状やメダルを用意しておくように言われた。
盾やトロフィーは影になるからメダルを賞状の上においた。
優勝とクラス6と名前がクローズアップされるよう、レンズを替えてかなり至近距離から撮った。
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柳岡克子の生い立ち 49、卓球の練習の撮影

3時半、向かいのビルの屋上からわが家の入り口を撮ろうと構えた。
ところが、NHKとは別会社のアンテナが立っていてマズイということになった。
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柳岡克子の生い立ち 48、薬局での撮影

14日、車での出勤の様子を撮影したいというので私の軽の車に大きなカメラをかついで相馬君が乗った。
私の車のハンドルの右側にはレバーが付いているのをアップで撮った。
狭くて窮屈な車の中でハンドルと足を別々に撮るというので何度も同じコースを回った。
薬局に着くちょっと前で相馬君を降ろして、入り口にカメラをセットして入るところから撮った。
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柳岡克子の生い立ち 47、NHK教育テレビの撮影始まる

6月12日、土曜日夕方、機材を積んだワゴン車がわが家に止まった。
織田ディレクター、相馬カメラマン、音声の高田君、大川運転手の4人と少し話して、わが家の家族と一緒に夕食を食べた。
カレー事件ではよく和歌山へ来ていたらしい。
NHKと書いた大きな車で放送が30分の番組とはいえ、映像の部分は10分ぐらいの撮影に4日も4人のスタッフを派遣して大阪放送局から和歌山まで来てくれるという、力の入れように皆が驚いた。
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柳岡克子の生い立ち 46、「きらっといきる」に出演決まる

東京での受賞式から帰ってしばらくは、練習に明け暮れていた。
5月半ば、NHK大阪放送局から電話があった。
昨年応募したNHK厚生文化事業団の作文で、2月に優秀賞をもらった私と佳作の1人が、4月から始まったNHK教育テレビの新番組「きらっといきる」に出演させてもらえるという。
毎週水曜日に午後7時10分から40分まで、障害のある人の生活や活動の映像を全国に流し、スタジオで3人の人とトークする番組だ。
この電話をもらうまで、番組のことを知らなかった。
その日から見始めてなかなかよかった。
私なんかがゲストでいいのかとも思った。
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柳岡克子のおいたち 45、NHK障害福祉賞優秀賞を受賞して

NHK厚生文化事業団が、障害のある人自身の貴重な体験記録や、障害児・者の教育や福祉の分野でのすぐれた実践記録などに対して「NHK障害福祉賞」という作文を募集していた。
1966年度に創設し、2015年度に50回を迎えた。
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柳岡克子の生い立ち 44、卓球と出会って学んだこと

パラリンピックヘの夢は夢として大きく持ち続けていたいが、実際のところ、日本選手団が約80人と仮定したとして、卓球で10人以上の選手は望めない。
夏の大会は種目が多いからだ。
陸上や水泳などいろいろあり、バスケットやバレーは1チームでも大勢になる。
だから、選考基準が厳しくなり世界を相手にメダルをねらえる人が選ばれることになる。
障害者スポーツがリハビリの域を越えて、競技性が高まりつつある。
今回のUSオープンは互いに助け合って楽しい思い出となったが、選考時にはライバルにもなる。
何とも厳しい世界である。
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