1576、障害を受け入れる

1年が終わる前に

吹奏楽部の定期演奏会がありました。

皆そのための練習に打ち込みました。

私も初めて多くの人の前で

太鼓をたたくので間違わないように

毎日欠かさず練習に行きました。

各自、少しのフレーズをソロで演奏するところがあり

私も8小節だけ他の楽器が音を出さない状態で

会場に私のドラムの音が響き渡りました。

ドラムは旋律でもないし裏方だと思っていましたが

吹奏楽では

大事な楽器だと改めて責任を感じました。

それからというもの

身体のことで泣くのはやめよう。

泣いて解決するなら

思い切り泣こう。

でも泣いても解決しないことなら

もう泣くのはやめようと

決めました。

あきらめというより

障害を受け入れた瞬間でした。

いろいろあった思春期ですが

音楽が好きな中学生活を楽しみました。

1575、吹奏楽部へ入部

たたくとモヤモヤしていた気持ちがすっきりしました。

私も先ほどからの失望に

光が差し込んだような気がしてきました。

それからは

吹奏楽部の結成のメンバーに入れてもらいました。

私は1年生だからこれから3年間活動ができるけど

3年生はあと少しです。

それで2人しか入ってきませんでした。

歳は上でも入部は一緒の先輩です。

あの仲良しの友達が

宿題一緒にやろうと

誘ってくれても

「クラブの練習があるから」と

断ることができました。

クラブ活動で出会った

新しい友達とも仲良くでき

死んでしまいたいと思っていたことも

忘れてしまうぐらい楽しい時間でした。

1574、ドラムとの出会い

もーいい

ないや

私にできる楽器ないや

先生にそう言って帰ろうとしました。

出口付近に

ドラムが置いてあって

ぶつかりそうになりました。

気持ちが荒れていたのでやけくそになって

上に乗せてあったスティックで

パーンとたたきました。

その様子を見ていた

先生が

「これだ、太鼓、こらならいける」

先生は

スティックの持ち方を教えてくれ

たたき方をまねするように

たたいて見せてくれました。

トントントン

左右交互にたたけばいい

割と簡単で

力もそんなにいらない

スティックの持ち方が少し違うけど

たたけないことはない。

1573、難しい楽器

ある日

音楽の先生が

市で補助金を出してもらって

中学校に吹奏楽部を作るので

楽器が納入される日に

見学においでと誘われました。

音楽室へ行きました。

先生は私にいろいろな楽器を触らせてくれました。

フルート

親指が届きません。

クラリネット

旋律なので吹いてみたかった。

小学校では努力してリコーダーが吹けたので

これも吹けると思いました。

幅が広くて小指が届きません。

残念でした。

トロンボーン

重くて前に突き出したとき

倒れそうになりました。

トランペット

3本指なので大丈夫と思いました。

1分ぐらいで肩が疲れて支えられなくなりました。

1572、遺書

遺書を書きました。

まず

母へ

父へ

かわいい弟へ

先生へ

友達へ

いろいろ書いていくうちに

皆に世話になってここまで生きてきたことの

お礼文になっていました。

そんなに

世話になって来たのに

このまま死んでしまっていいのかなあ。

私が死んで泣いてくれる人がいるだろうか。

誰も泣いてくれなければ寂しいし

誰かを泣かしてしまうのも悪い気がするし。

そんなモヤモヤした日が続きました。

1571、運命

どうして

私はこんな身体なんだろう。

誰かに

怪我させられたわけではないので

誰かを

恨むこともできません。

ただただ

運命を呪いたくなるような

どうしようもない叫びを布団の中に埋めました。

これから先

生きていても

いいことなんかない。

苦労するばかりだ。

それなら

早く楽になりたい。

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