1570、自転車に乗れない悔しさ

しかし

私は

自転車に乗れません。

皆が普通にできることが

私にはできないのです。

クラスの誰もができることなのに

私だけができない。

悔しくて

情けなくて

辛くて

どうしようもない寂しさを感じながら

泣きました。

布団がべたべたになるほど

朝まで泣き明かしました。

1569、放課後宿題をする

中学生というと思春期!

自己に目覚める時

やんちゃをしたいのは私も一緒。

嫌な気持ちになってどこかにぶつけたいことも出てきました。

ある日

親しい友達が

「放課後一緒に宿題をやろう」ということになりました。

私も一緒に仲間に加わりたかったけど

母に車で送ってもらい

6限目が終わるころに

母に迎えに来てもらう。

そんな通学をしていると

寄り道ができません。

それより

皆自宅に帰って

着替えて

自転車に乗って

集合場所の家に行くことになっていました。

1568、なにくその精神

やんちゃな子等と仲良くできたことは良かった。

私の心の奥には

「いつか見返したる、今に見ておれ」

という負けん気根性がありました。

座ることもできず

走ることもできず

こけたら一人で起き上がることもできません。

落としたものも拾うこともできず

階段も助けてもらわなければ上がれません。

何をしても

負けだと思いました。

でも

勉強だけは

堂々と

勝てている。

やんちゃな子等に勉強を教えながら

いつか誰かに認めてもらって

勝ってやる。

負けるもんか。

そんな気持ちで頑張りました。

1567、やんちゃな子等に感謝

数年に1度同窓会があります。

当時やんちゃをしていた子等は

同窓会の取りまとめをしてくれました。

立派に親になって

地元に残って家業を継いだり

自営業を営んだりしています。

元々優しかったので

友達も多く

人が集まってきます。

私も皆の中に溶け込んで

当時を思い出しながら感謝しています。

なぜなら

山かけしてほしいと頼まれたおかげで

勉強をし、高校に入学できたからです。

人に教えると頭に残ります。

やんちゃな子等と仲良くできたことが

私にとって幸せなことだったのです。

ややもすると

障害があることでいじめられ

不登校になる人もいます。

まずは、クリアしました。

1566、先生の心配

そんな時

廊下を歩いていた先生がふと教室をのぞいて

私の席の当たりを見ると

やんちゃな子等が集まっていました。

私の姿は、廊下から見えませんでした。

先生は

きっとやんちゃな子等の集まりの中で

いじめられているのではないかと思ったそうです。

「お前等何してる?柳岡大丈夫か?」

と廊下から飛び込んできました。

私は、やんちゃな子等に一生懸命勉強を教えているところでした。

「何?先生、テストやさか皆で勉強してるんやで」

先生は、勘違いが分かりほっとした様子で

「そうかそうか、皆頑張れよ~」

と言って教室を出ていきました。

こんな感じで

やんちゃな子等と仲良くなり

いい関係を保つことができました。

1565、教室内塾

これは大変なことになった。

外したら今度こそ殴られるかもしれません。

私は全ての科目を一生懸命勉強して

授業を聞いていなくても

試験に出そうなところをわかりやすく説明し

覚えてもらうことにしました。

なんとそれが当たったのです。

これさえ覚えたらいい点が取れると言ったら

記憶力のいいやんちゃな子は

丸覚えしていい点数を取りました。

それからというもの試験前になると私の席の周りが

やんちゃな子等で埋め尽くされました。

何か塾みたいに楽しい昼休みを過ごしていました。

1564、テスト前

ある日

またやんちゃな子等に呼ばれました。

「ちょっと話がある」

「何ですか?」

今度こそ、殴られるのではないかと思いました。

定期テストの前でした。

「テスト、どこ出るか教えろ!」

「えっ!はい、でも出るかどうかわかりません。」

「山かけろ!」

やんちゃをしていても成績はいいのを取りたい。

普段授業を真面目に受けていないし

ノートも取っていないので何が何だかさっぱりわかりませんでした。

でも、親には良い所を見せたい。

そんな欲もあって

私に試験前に山かけを頼んできたのです。

1563、不良の美学

やんちゃな子等は、家庭的にも問題を抱えていることが多く

誰かに認めてもらいたい、

声をかけてもらいたい。

と思っていました。

そんな中、優しく声をかけてもらえているのは足が不自由な私だったのです。

むかついたことでしょう。

やんちゃなことをすれば

曲がりなりにも

先生の注目を浴びることができます。

怒られることにも

関心を持ってもらえたという喜びに浸れるのです。

そのころの私はそんなやんちゃな子等の気持ちを理解することができませんでした。

やんちゃな子等にとって

私のようなちょっと突っついただけで

こけるような弱い人に勝っても

自慢になりません。

戦いを挑むなら

柔道や空手など強い人と喧嘩して勝った方が格好いいからです。

今の時代のように無茶苦茶な戦いはせず

手加減や美学があったのです。

ですから

やんちゃな子等にいじめられることはなかったのです。

今ネット上での陰湿ないじめなど

考えられない時代でした。

1562、先生のひいき

ある日、恐れていたことが起こりました。

「ちょっと来い!」

「はい、何ですか?」

私は、殴られるのではないかと思いました。

「あんたなあ、足が不自由だからと言って

先生にひいきされてるのとちがう?」

「なめんなよ」

なめ猫が流行った頃でした。

私は、そんななめたくもない。

まして先生にひいきされているなんて

思ったこともありませんでした。

でもよく考えてみると

心当たりがありました。

それは、小学校の先生と中学校の先生との間での

丁寧な引継ぎでした。

中学校の先生は、

障害のある生徒を受け入れたことで

何かあるといけないので

事あるごとに

「大丈夫か?」

「いけるか」

「がんばってるなあ」

と私を励ましてくれました。

たぶん

そのことがひいきされていると

思ったのでしょう。

私は、ひいきしてほしいなんて思ったこともありませんし

むしろそんなに優しくしないでほしいと思っていました。

普通でいいのです。

あまり取り立てて優しくされると

かえって周りの友達から

ひいきとまではいかなくても特別扱いされていると思われるのが嫌でした。

1561、いじめの対象

卒業生が、授業中に運動場をバイクで

大きな音を出しながら暴走族のような

格好をして騒いでいたこともあります。

あるときには、ドアが外されていたり、

ガラスが割れていたりでおまわりさんが

現場検証をしていました。

おとなしかったり

おっとりしていたり

皆についていけなかったり

そんな人はいじめの対象になりました。

今と違って

目の前で見えるので

止めに入るクラス委員もいて

先生に注意されて収まる程度でした。

でも、格好いいなと思う反面

怖いと思うところもありました。

それは、やはり私が皆と同じように歩けなかったり

何かと目障りになっていたからかもしれません。

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