コンテンツへスキップ
幼稚園の友達と同じ小学校に入れた喜びを
家族で分かち合いながら
あっという間の6年間でした。
県内でも生徒数が多くマンモス校でした。
1クラス40人学級の38人ぐらいで
6クラスありました。
ですから
周辺の小学校がいくつか集まって
1つの中学校へ行くのではなく
そのまま中学校へ行くことになりました。
6クラスで約230人。
同じクラスにならないと名前は覚えられないけれど
なんとなく顔なじみのメンバーでした。
私の場合は
小学校での成績もよく
体育以外はついていけたので
養護学校へ行かなくても
そのまま中学校へ入学できました。
祖母の足の切断は
膝の下からでした。
膝の上からの切断の場合
義足を付けても
不安定でこける確率が高くなります。
座るときは、膝を曲がるようにして
歩く時
ちょうつがいで固定します。
御坊市の御坊市身体障害者福祉協会の私の後に
会長を引き継いでくれた方は
膝上からの切断です。
ですから片方杖をついています。
同じ義足でも
切断の場所によって
違うということも
大人になって知りました。
祖母は
78歳の時
一番くつろいだお風呂で
眠るように亡くなりました。
祖母が亡くなって
私も御坊市身体障害者福祉協会に入会し
祖母のことを知っている人たちの話から
祖母の活躍を知り
改めて尊敬しました。
社会のため
障害者のために
出来ることをする。
亡くなってから見習うべきことを学びました。
一日中義足を付けていると
痛いし疲れると思います。
我が家でも
お風呂は
一番ほっとする場所です。
祖母は
自分の部屋で義足を脱いで
廊下を這って風呂場へ行きます。
家族は見ていますが
頑張っているところを
助けることなく
見守るという姿勢で
特別扱いはしませんでした。
それがかえって居心地が
良かったのかもしれません。
確かに
不自由な生活だと思うのですが
泣き言を聞いたことがありません。
だから
私もそんな祖母を見習いながら
頑張ろうと思いました。
核家族が増えている中で
祖母が潤滑油になって
喧嘩も大きくならずにおさまります。
家事も助けてくれて
全く障害者であることを感じさせません。
PAGE TOP