1555、殺人事件

長い間

義足を使っていると

足の筋肉がやせて

細くなってきます。

数年に1度

市役所の福祉の方と

義肢装具士さんとの面接があります。

そこで

足が細くなって

義足のサイズを変更することになります。

合わなくなったので今までの義足をタンスの奥に

入れていました。

少し引き出しが空いていて

足首が飛び出ていました。

そこへ私の友達が

遊びに来ていて

出ていた足首を

引っ張り出しました。

「キャー!!!」と

まるで

殺人事件みたいな顔で

驚いていました。

たぶん義足を見たことがないのでしょう。

「洋服屋のマネキンみたいなものヨ!

おばあちゃんの足に付けているの」と。

1554、義足で生活する祖母

祖母は

「雨の日は気を付けなきゃ」と言いました。

義足だと

すべるからです。

こけそうになります。

義足にも靴を履かせるのですが

靴が脱げても気が付かないこともあったそうです。

途中で

足へくくり付けているベルトが

切れて義足が抜けてしまったことが

あったそうです。

その時

通りすがりの方に

家まで車で

送っていただいたことをとても感謝していて

出かける時は

お金を持って

いつ何があってもタクシー代ぐらい

払えるようにしている

と言ってました。

1553、強い祖母

祖母は

同情されたり

褒められるのを嫌がりました。

ごく普通に生きているだけなのに

「えらい」とか

「頑張ってください」とか

言われるのが嫌だったのです。

私も生まれつき障害がありましたが

同じ思いを持っていました。

だから

取り立てて口に出さなかったけど

心の中で通じるものがありました。

きっとこれを読んでくださっている障害のある方も

そんな気持ちを共有できると思います。

1552、温泉

農協婦人部の旅行で

一緒に温泉に行った時

脱衣所で義足を脱いで這いながら湯舟まで

たどり着く様子を見た

婦人部の友達が

私に「おばあちゃん足なかったのですね。」

とびっくりして話してくれました。

身近な友達さえも

祖母が義足だとは

知らなかったそうです。

1551、ズボンをはく祖母

スカートをはいている

祖母を見たことがありません。

義足のことを

人に知られたくないからと

ズボンをはいていました。

若い頃の写真を見て

はじめて

スカートをはいている祖母の姿を見ました。

今では

義足を付けることは別に恥ずかしいことはないと思いますが

当時

世間的に障害者になることは

恥ずかしいことだと思っていたようです。

杖の練習をすれば

出来たと思いますが

障害者になったことがばれると思ったようです。

義足をはいて

ズボンでスタコラ歩いていると

誰も

片足が切断されているとは

わからないのです。

1550、病院へ駆けつける

私の記憶は

祖母が

病院へ運ばれたということで

まだ車の運転免許を取っていなかった母が

タクシーで私と一緒に

病院へ駆けつけたことです。

交通事故に遭う前の祖母のことは

何も覚えていません。

ですから

祖母というのは

皆片足が義足なんだと

思っていました。

1549、祖母の交通事故

私が幼稚園の年少の頃です。

その祖母が

交通事故で右足を切断するという大怪我をしました。

それまでは、自転車にも乗っていた祖母ですが

片足では立つことも歩くこともできなくなりました。

松葉杖を練習しましたが

こけて危ないので

義足をはくことになりました。

義足は、

クリスマスのお菓子がいっぱい入った

プレゼントみたいだと私は思いました。

足と同じ肌色でとても重かったです。

事故の詳しいことは

大きくなるまで知りませんでした。

祖母の足は、

膝の下が細くなっていて

ソーセージのように

丸くなって足首がついていませんでした。

1548、おばあちゃんの布団へ

夜になると

1年生になったからと

一人で布団に入ることになりました。

でも

生まれたばかりの弟は

母のお乳を吸いながら

すやすや眠っています。

私は

お乳を吸う歳ではないから

お姉ちゃんになったから

弟をさし置いて

母に甘える事が

できませんでした。

そんな私の気持ちを察して

おばあちゃんは

「ここへ来るか?」

と布団をめくりあげてくれました。

私は

嬉しい気持ちを隠して

布団の中へ顔を埋めました。

1547、お姉ちゃんになる

1年生の年末に弟が生まれ

お姉ちゃんになりました。

今まで一人っ子で

身体が不自由だからといって

皆がやさしく

わがままし放題に

可愛がられてきました。

でも母は

幼い弟の世話もすることになり

私ばかりにかまっていられなくなりました。

そんな時

優しく遊んでくれたのが

おばあちゃんでした。

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