1535、家庭科の時間

家庭科の時間に編み物がありました。

担当の先生は、学習指導要領に照らし合わせ

刺繍に置き換えることができるとのことで

私の学年は、編み物ではなく刺繍でした。

それは私の指が曲がっていて

どんなに努力しても

難しかったからです。

刺繍なら何とかできました。

1534、文字を書く練習

小学校の授業は、楽しかったです。

国語の本は、

もらった日に全部読んでしまいました。

でも文字を書くのは、

指が曲がっていて

鉛筆を持つのが難しかったので

幼稚園に入る前に

一生懸命に練習しました。

特に右の親指を広げることができないので

グラグラして安定した文字が書けないのです。

へたくそでもお手本を見ながら

時間かかったけど何とか書けるようになりました。

1533、職員室での課題

それほど

普通の小学校に

体の不自由な生徒が

入学して

しかも普通クラスに

入ることが職員室でも

大きな課題となるほど

大変なことだったのが想像できました。

先生方の心配をよそに

私は、誰よりも早く手を上げて

答えたり

テストの成績も100点ばかりでした。

ところが

困ったことがありました。

なんだと思いますか?

1532、担任のからくり

母の送り迎えでしたが

毎日楽しくて

授業も問題なく

優秀な成績でついていけました。

学年主任だった先生と大人になって

入院した時、同じ病室になって

「あなたの担任は学年主任の私が

見ることになっていたのですよ。

でも学年主任と担任を兼務するのは

大変なので、H先生に担任になってほしいと

お願いして受けてもらったのです」と。

まあ、そんな裏話を聞ける日が来るなんてビックリでした。

1531、普通教室の5組になる

Ⅰ先生が、

特別支援教室で面倒を見てくれると言ってましたが

授業についていけるか

普通教室で

しばらく様子を見ましょう

ということになりました。

ですから

5組のH先生の教室に入ってもらいました。

授業についていけなくなったら

いつでも受け入れる準備はしていますから

ということでした。

私はそんなこと何も知らずその話を聞いたのは、

大人になってからでした。

1530、トイレに手すり

母は、入学式の前に

ポータブルトイレを学校に持って行って

教室に一番近い女子トイレの

1つの部屋の中に置きました。

父は、私と一緒に手の高さを

合わせて、手すりをコンコンと

取り付けてくれました。

これで

小学校に入学できたのです。

1529、入学式

小学校の入学式の日、

式を終えて、体育館から教室に戻ってきました。

Hという担任の先生は

「このクラスには、

体の不自由なお友達がいますが

決していじめてはいけません。

仲良くしましょう」

と初めに言ってくれました。

おかげでクラスの皆とは

仲良くできました。

1528、ポータブルトイレ

そこで父は、当時(昭和45年)

インターネットなんかない頃に

出始めのポータブルトイレを

どこかで購入してきました。

これを小学校の女子トイレの

一角に置かせてもらうことで

入学が許可されました。

私は、知り合いもいない和歌山市の寮に

一人で入って、家族と離れるのが

「嫌だなあ」と思っていましたから

嬉しくてたまりませんでした。

何よりも

幼稚園で仲良くなった友達と

一緒の学校に行けるのが一番うれしかったです。

1527、御坊小学校へ入学するネック

問題なく幼稚園での生活ができました。

たったひとつ

おしっこを先生に助けてもらっていたこと。

これが御坊小学校へ入学するネックになりました。

小学校の先生は幼稚園の先生と違い

240人の生徒が1学年にいるので

常に近い所にいて見守ることができないので

助けられないということでした。

1526、幼稚園での生活

幼稚園での様子を聞き取りしてくれました。

お遊戯会では、人魚姫の魚の役をしたこと。

音楽会では、ピアニカやハーモニカを

不自由な指にもかかわらず

練習して弾いたり吹いたりできるようになったこと。

運動会も遅くてもかけっこをしたこと。

放課後、英語教室に通っていて

アルファベットがかけて

簡単な会話が出来たこと。

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