1403、日本会議和歌山女性の会設立5周年記念大会

平成25年12月8日、ホテルグランヴィア和歌山で日本会議和歌山設立10周年・日本会議和歌山女性の会設立5周年記念大会でした。第1部では、皇紀二千六百年奉祝曲「海道東征」を和歌山市交響楽団・和歌山市響合唱団により記念公演があり、第2部の式典では角会長のあいさつの後、小野田女性の会会長のメッセージが荒木事務局長より代読されました。第3部では「日本の覚悟」と題して、日本会議の三好達会長のご講演がありました。私も和歌山の女性の会副会長として控室で西平女性の会会長と三好氏と3人で記念撮影!

1401、中山恭子氏と

師走の予定が立て込んでいて車いすでの往復新幹線の日帰り東京でしたが、開会までに原宿や表参道を散策したり、神宮の参拝や各界の有識者と親睦を深めることができました。うれしかったのは、高市早苗衆議院議員と有村治子参議院議員が「遠くからよく来て下さった」と私を見つけるや声をかけて下さったこと、中山恭子参議院議員が拉致問題の解決のため私が和歌山でブルーリボン活動をしていることを「一緒に頑張りましょうね」と言って下さったことです。震災や台風で大変だった1年を締めくくり、改めて「絆」を考える素晴らしい10周年記念式典となりました。今年は、すべてを乗り越えて新しい一歩を前進させていきたいと思います。

1400、小野田寛郎氏の講演

第2部では、「極限を生きて~国のありがたさ~」と題して、(財)小野田自然塾理事長の小野田寛郎氏が講演されました。小野田氏は始めに「本日12月8日は今から70年前に開戦の詔勅日。当時19歳で商社に勤務していたが、フィリピンのルバング島で29年間戦い続けることになった経緯について詳しくお話しされました。また「フィリピンの島で油断も隙も無い中で戦ったが、本当に安心できるのは自分の母国しかない。家の中心になって子供を育てていくのは母親。母親が一番の団結力の中心になる。女性が一番の原点であり、家、国が出来ている。日本が負けて残念だったが、経済的にだけは成長した。しかし、その間、随分置き忘れたものがある。一番置き忘れたものは、各家庭における団結力。そして国が無ければ生きていけない。それをすっかり忘れている。先祖から受け継いできた者を子孫につなぐために私達は生きている。」とお話しされました。会場からは大きな拍手が沸き起こりました。

1399、日本女性の会・小野田町枝会長

日本女性の会・小野田町枝会長は「日本女性の会は、平成13年に結成され、会長に就任して5年。役員と共に全国を隈無く歩き、当初4支部だったのが現在38支部に拡大したのは全国の皆様の暖かい情熱の賜です。今の日本には、子供は国の宝という基本的な考え方が欠けている。次代を担う子供たちをたくましく、健やかに育てるのは女性の力、母親の愛情。女性は子供を宿し、生み育てるという神様から与えられた特権があります。子供たちや男性に勇気を奮い起こさせる魔法の力も持っています。その魔法の力で、家庭や地域社会で良い家庭を作るのが「誇りある国づくり」で、それが日本女性の会の役割です。大きな国難の時ほど気高い女性の力が必要。日本国が栄え、さらに誇り高い国になってほしいという一念で会長をお引き受けしていますが、皆様、共に力を合わせて良い国を作ろうではありませんか」と挨拶されました。

1398、日本女性の会10周年記念式典

国会議員、各種団体の代表、全国各地から日本会議・日本女性の会の役員の皆様が来賓としてご出席されましたが、代表して、三好達日本会議会長が挨拶されました。三好会長は、「日本女性の会の皆さん、そして支援していただいている皆さんがこれからも力を尽くして頑張って頂かなければ日本は危うい。国民の覚醒を促し、ご先祖様から受け継いだ国を、誇るべき国として子々孫々に引き継いでいくために、皆様いっしょに頑張ろうではありませんか」とエールを送られました。

1397、「日本女性の会」設立10周年

「女性も元気に国づくり人づくり」を合い言葉に、家庭の価値を再評価し、子供に夢と誇りを与える教育の実現を目指して活動してきた「日本女性の会」が、設立より10周年を迎えました。私も、日本会議和歌山女性の会副会長として参加させていただきました。第1部10周年記念式典では、国歌斉唱の後、東日本大震災による犠牲者のご冥福をお祈りして、参加者全員により黙祷が捧げられ、3月16日にご発表になった「東日本大震災に際する天皇陛下のおことば」を拝聴しました。

1396、明治神宮会館で日本女性の会10周年

平成23年12月8日、東京・明治神宮会館で、1,700名の人々が集い、日本女性の会10周年記念「東日本大震災チャリティー講演会」が盛大に開催されました。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、大正9年に、縁の深い代々木の地に創建されました。初詣は例年日本一の参拝者数を集める神社としても知られています。明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため、明治23年、教育勅語を出されました。勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていました。昭憲皇太后さまは、明治天皇の皇后として、女子教育のご奨励と博愛、慈善の事業、社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現学習院女子高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本赤十字社の発展などにきわめて大きな役割をお果たしになりました。

1395、世界遺産高野山

観光地として外国人観光客も多い高野山ですが、世界遺産としての魅力がわかりませんでした。今回丹生都比売神社でお話を聞かせてもらい、外国人にとって神と仏を一緒に崇拝する国が珍しいのだそうです。和歌山県にはこんなすばらしいところがあったのかとあらためて知り、歴史の深さを感じました。北部は高野山、南部は熊野古道と県下全域にわたって神仏に守られているのだということもわかりました。

 日本会議は神社庁に事務局をおきながらも仏教界など様々な団体や個人が日本の平和を祈っています。今、日本は国難ともいうべき、地震、津波、豪雨、台風などの自然災害や、政治、経済の混乱で戦時中のような厳しい状況に置かれています。そんな時こそ神仏の守りを頂き、祈りを捧げる時だと思います。

1394、丹生都比売神社に参拝

高野山の帰り、丹生都比売(にうつひめ)神社に正式参拝しました。今から1,700年前創建され、丹生都比売大神は天照大御神の妹神で、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、かつらぎ町天野の地に鎮座されました。降臨した丹生都比売大神が遷座の地を探し求め、再び降臨したのが真妻山と伝えられています。丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。その後、丹生都比売神社を参拝した後、高野山に登ることが慣習になりました。元寇の役では祈祷を行い元軍が撤退したので、鎌倉幕府の崇敬が篤くなりました。これ以降、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されていきました。