1146、温泉親睦日帰り旅行

2016年11月17日、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の親睦旅行をしました。オストメイトは、お風呂に入るのに抵抗があります。そこで皆で一緒に温泉につかりながら肌と肌との触れ合いの中で理解と安心を共有するために温泉旅行を企画しました。和歌山県が補助金を出して購入しているリフト付きの福祉バスの抽選で1日借りることができたので日帰りの近場の中津荘の温泉になりました。食事を一緒にして、押し花で年賀状を作成するなど楽しいイベントでした。

1145、初めての近畿支部長会議

平成28年10月23日、私が公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長になってはじめて近畿の支部長の会議に出席しました。兵庫県が当番ということで神戸市に行きました。和歌山からは、副会長と二人で参加しました。奈良県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県の支部長や役員と本部から会長と事務局が来てくれました。私は何もわからないまま北国を聞いているだけでした。どこも会員が減少をして運営が厳しいという話でした。内部障害者は、自分が障害者だということを人に知られたくない人が多いので勧誘もしにくい現状があります。

1144、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑧

45歳にして人工肛門という友達が出来ました。これからは一生仲良くお付き合いをしていかなければいけない身体の一部となりました。取り外しが面倒くさいし、障害も増えてしまいました。でも私は生きている。神様、仏様、ご先祖様に守られて生かされているのです。この世にまだ私に与えられた使命があるのかもしれません。何回も死にかけたけど、命ってかけがえのない大切なものだから、助かった命に感謝して、恩返しのできる活動をしていきたいのです。お世話になった方に直接でなくても私を必要としてくれる方がいたら私のようなものでも誰かの役に立ちたい。そんな思いでこれからもがんばっていきたいと思います。

1143、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑦

平成28年5月14日の総会にて、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長に就任しました。この会は人工肛門、人工膀胱を装着している患者会です。大腸がんや膀胱がんが原因でストマにパウチを装着することになった人がほとんどで私のように潰瘍性大腸炎の患者はあまりいません。手術をして5年程たってやっと安定して外出も心配なくなりました。それまでは、汗をかくと外出中に便が漏れ出たり、夜布団を汚したり大変でした。悪戦苦闘で試行錯誤してやっといいパウチと出会え外れにくくなりました。大腸がないので水分の吸収ができず下痢状の便が出ます。だから処理が大変なのです。膀胱の方は常に尿なのでもっと大変です。前任の支部長が85歳ということもあり受けさせてもらうことになりました。手術してすぐの頃の不安を取り除いてくれたのもこの会なので、これからはストマの悩みをお持ちの方の役に立てるよう会運営に携わっていきたいと思います。

1142、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑥

今、全国あちこちで命の大切さを講演させてもらっていますが「大腸がなくなって大変でしたね」と言う質問に、「大腸がんにならないと喜んでいます」と答えて笑いをとっています。今では、何でも食べることが出来ます。それが何よりありがたいなあと食べる喜びを味わっています。

1141、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑤

37歳からは、下痢だと思ってトイレに行くと便器が真っ赤になるほどの出血で貧血となり倒れ、半年に一回の割合で入院しました。それでも間一髪のところでいつも助かりました。その時、私は生かされていると感じたのです。一番つらかったのは、入院を気付かれないようにいろんな会議に出席したことです。まちづくり会議わいわいGOBOの会長の時は、夜の会議に病院を抜け出さなければなりません。外出の許可は取っていても消灯時間に遅れ看護師さんに注意されたり大変でした。御坊市身体障害者福祉協会やウイズ・ア・スマイルや異業種研鑚会の会長もがんばっていた頃です。ずっと薬で抑えていましたが、とうとうボロボロになった大腸ともおさらばする日がきました。断腸の思いという言葉があります。腸を断つほど苦しいという意味です。大腸を全部摘出する手術を緊急にしなければ命が持たないという判断でした。45年大腸よ!ありがとう!

1140、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶④

33歳といえば、障害者卓球と出会いパラリンピックをめざして卓球の練習に明け暮れていた頃です。足が痛くなり痛み止めの薬を飲んでいました。胃を悪くしたので座薬を使いました。それが腸への負担となったのです。薬は、出血の引き金になったのですが病名は、潰瘍性大腸炎という難病でした。小さい頃から、天ぷら、焼き肉、から揚げなど油っこいものが大好きでした。でもこの病気になって食べられなくなりました。それがどんなにつらかったことか。腸が悲鳴を上げていたんですね。

1139、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶③

33歳の時、初めて下血しました。でも痔だと思い、恥ずかしいので病院にも行かずほっておきました。2年後、トイレで大量の下血をして意識を失いました。昼間だったので母が発見して救急車を呼んでくれて国保日高総合病院へ入院しました。大腸からの出血ということで何も食べられない日々が続きました。口から物が食べられることはありがたいと思いました。1カ月ほど点滴での食事が続き、初めて出てきたスプーン一杯の目玉粥がおいしかったことは今も忘れられません。今まであたりまえだと思っていたことがこんなにありがたいなんて。もし夜中で発見が遅れていたらそのままトイレで死んでいたかと思うとほんまに良かったと思いました。

1138、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶②

明け方、少し意識が戻ったら野口の河川敷で救急車に乗せられているようでした。フワッと身体が浮いたような気がしたらドクターヘリで運ばれていました。15分ほどで和医大の屋上に到着し、意識がもうろうとした中、手術の同意書やらなんやら説明を聞いていました。そして麻酔をかけられ手術室に入りました。

 目が覚めた時には、ICUで白い天井しか見えなく器機につながれていて身動きが取れませんでした。面会時間に母にこそっと携帯電話を持ってきてと頼みました。時刻を見たら1日飛んでいて誕生日になっていました。どれぐらい眠っていたかもわかりません。友達からの「誕生日おめでとう」のメールが入っていて、しっかり私は生きていると実感しました。年を取ることがこれほどありがたいと思った日はありません。

1137、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶①

平成21年11月14日、45歳の誕生日、私は、和歌山県立医科大学病院のICUで生死の淵をさまよっていました。9日の夜、自宅のトイレで下血し北出病院に緊急入院しました。大腸からの出血がひどく、絶食して点滴しながら安静にしていました。それでもフラフラして貧血で輸血をしていました。12日の夜中、ベッドサイドのポータブルトイレに大出血して倒れました。ナースコールを押してからのことは覚えていません。もし押せていなかったらどうなっていたかわかりません。