1055、養成講座での学び

CDA養成講座やCDA資格取得によって、何か得ることや変化はありましたか?

学習塾を経営してきて、生徒を高校や大学に合格させることが目標でした。しかし、その学校を決めた時、本人の気持ちがどれぐらい入っていただろうかと振り返ると、親の意向や成績で決めていたような気がします。養成講座では、本人の考えに沿ったアドバイスや本人の考えを引き出すことが重要でした。

1054、オリジナルのCDA 活動

CDAの試験に合格し、今までの経験を活かした相談業務を仕事にしたいと思い、学校などに営業に行きました。まずは、私の生い立ちを聴いてもらうことで障害者への理解を深める人権についての研修の中で、パラリンピックをめざし障害者卓球をしてきたことなどを話しました。そして障害者が世間で認めてもらうためには資格を取ることが必要だと気付き、ファイナンシャルプランナーや宅地建物取引主任者や行政書士、ケアマネージャなどの資格取得にチャレンジしたことを話しました。「障害がある私に頑張れることが健常者の皆さんにできないことはない。しっかり自分自身を見つめ、多くの人に役に立てる仕事を見つけて下さい」と心をこめて話しました。それがきっかけとなって、あちこちの高校で講演プラスワークショップという私のオリジナルのCDA 活動が始まったのです。

1053、キャリアコンサルタントになった理由

*どういった理由で「キャリアコンサルタント」をお仕事として選ばれましたか?

私は、生まれつき手足に障害があって歩くのが不自由です。しかし、神戸の薬学部を卒業しました。卒業したものの障害のある体ではなかなか就職ができませんでした。そこで高校時代通っていた学習塾でお世話になり、先生という仕事をしていました。その後、独立し塾をしていた時、少しの時間薬局でアルバイトをしたのです。レジのパートさんといろいろ話をして仲良くなると、「実は辞めたい」という相談を持ちかけられ、聴いていました。でも私には引き留めることができませんでした。私も立ち仕事が肉体的に辛く私も辞めたかったからです。座ってできる仕事に就きたいという気持ちが強くなっていました。

1052、キャリアカウンセラーにチャレンジ

相談に来た卒塾生に対して何とかしたいと思いました。しかし、私には、勉強は教えられても、相談のプロではありません。仕事を見つけてきてもその子に合うかどうか、続けられるかどうかわかりません。私もその子にぴったりの仕事を探せる支援ができればいいなと思っていました。そんな時ファイナンシャルプランナーの研修会で知り合った友達に、キャリアカウンセラーという資格があると教えてもらいました。すぐにインターネットで調べて、私が学びたいと思っていたことを習える資格だとわかりました。でも通学が大阪で、車いすの私には難しいと思いました。そこであきらめないのが私です。エレベーターのない御坊駅に電話してリフトを使って線路を、階段を使わないで渡してもらえることになりました。それから毎週土曜日に車いすで朝5時代の始発に乗って大阪駅の近くのビルで芦田先生の講座を受けることになったのです。講座終了後の自主研修にも参加し1次試験に合格。2次試験は何度か失敗しましたが、何とか合格することができました。

1051、卒塾生の悩み

いろいろ話を聴いているうちに、仕事を決める時に本当にやりたいことを考える間もなく就職してしまっていることがわかりました。たくさんの企業に願書を出し、手当たり次第に面接し、マニュアル通りの受け答えで合格し、その会社が自分にとって本当にやりたい仕事の場所なのかもわからないままに、とにかく内定をもらうことで安心し、それ以後は卒業まで遊びに明け暮れ大学生活を謳歌していました。入社したら上司とのコミュニケーションもうまくいかず、仕事も自分に合わないと勝手に思い込み、相談する仲間にも恵まれず、彼

氏や彼女にあたりちらし別れてしまい、田舎に帰ってきた、というのです。もう塾を卒業

してしまったとはいえ、長い間関わってきました。

1050、塾の教え子が相談に来る

——CDA資格を取ろうと思ったきっかけは何ですか?

塾の教え子が「失業した」とやってきたことです。20 数年進学指導をしてきて、その子らに合った高校なり大学なりへ導いて、合格を喜び合ったはずなのに、その後どういったところに就職し、どうしているかあまり知りませんでした。きっとうまくいっているだろうと思っていたのに、一人、二人と地元へ帰ってきて、「何か仕事ない?」というのです。親の介護で仕方なく故郷へ帰る人もいますが、まだそんな年齢でもなく、都会で就職できたことを喜んでいました。にもかかわらず、「辞めてきた」と。私は、久しぶりの再会を喜ぶ間もなく話を聴くことにしました。

1049、JCDAジャーナルに掲載される

2012年11月、NO45 に「支えてもらう側から支える側へ」で掲載される。

重度の障害がありながらも、大学卒業後に学習塾の先生を経て、総合学習センター柳岡塾を設立した。柳岡さん。教え子の話を聴くなかで相談業務の仕事をめざし、キャリアカウンセラー資格を取得。障害者卓球でパラリンピックをめざした経験をもち、講演プラスワークショップというオリジナルのCDA活動を展開する柳岡さんに、これまでのキャリア、活動の内容をうかがった。

1048、全国クリーニング組合ニュース9月号に掲載される⑥

*今後の抱負をお聞かせください。

介護支援専門員や社会福祉士でもありますが、友達や家族など多くの方にお世話になって今まで生きてこられた半世紀ですから、これからの人生は恩返しが出来るよう頑張りたいと思います。障害者の枠を超え多くの方と知り合ったり、様々な活動に挑戦することが楽しいのです。

 《柳岡克子さんのことを詳しく知りたい方は、インターネットから「柳岡克子」で検索いただければご覧になれます。》

1047、全国クリーニング組合ニュース9月号に掲載される⑤

*他にはどのような活動を?

 現在は、御坊市社会福祉協議会の理事や障害者団体の役員、日本会議和歌山女性の会副会長などしながら資格試験にチャレンジ。キャリアカウンセラーや年金アドバイザー・宅建に合格しました。総合学習センター柳岡塾を経営しながら慶風高校の非常勤講師もしています。

県が地域振興の若手養成のため募集した「わかやま塾ネクスト」の世話役としてイベントの企画を行っています。また薬剤師としてスポーツファーマシストの資格を取り、和歌山国体選手へのドーピング防止活動もしています。

1046、全国クリーニング組合ニュース9月号に掲載される④

*スポーツをしていたのですか?

 広島で開催された全国身体障害者スポーツ大会卓球の部において、金メダルを獲得し、パラリンピックをめざしアメリカ・台湾・ベルギー大会で好成績を残しました。そのことでNHK教育テレビの「きらっといきる」に出演しました。ところがシドニーパラリンピック直前に、潰瘍性大腸炎を患い引退しました。ドクターヘリによって御坊市の病院から和医大へ運ばれ命を助けてもらった経験から、多くの人の役に立ちたいと思うようになりました。そんなこともあり、昨年まで10年間、御坊市身体障害者福祉協会の会長をつとめさせていただきました。