1024、母の付添い(産経新聞)

81歳の母が、右手が上がりにくくなったと言うので、車に乗せて病院へ付き添った。母は、車から降りると、後部座席に積んでいた私の車いすを手際よく出して、運転席のドアの前に広げてくれた。私「右手痛くない?」母「大丈夫、上がりにくいだけ」と。

 母は、私の車いすを押しながら、整形外科の診察室に入った。医師は「どうされましたか?」と私に向かって、聞き始めた。私は「患者はこっちです」と母を指さした。「あーそうでしたか」と、医師は私の方を見てまちがったことをわびた。整形外科に車いすで入ってきたら、誰が見ても患者だと思う。

 医師は、あらためて母に「今日はどうされましたか?」と聞いた。

 私は、既往歴や服用中の薬から始まって、今の母の病状を詳しく説明した。医師は、私の言葉を遮るように「ご本人に聞いています」と。私は、母の付き添いの責任を果たそうと雄弁に語った。「付き添いの方はあちらでお待ちください」とまで言われた。このやかましい付き添いは何もんなのだろうと思ったに違いない。

 今まで私の身体のことで、どれだけたくさんの病院に母に付き添ってもらったことか。仮死状態で生まれ、あちこちの病院に入院し、何度も手術を繰り返し、やっと車を運転できるようになった。こんな時こそ親孝行ができる付き添いがうれしかった。これからが恩返しの本番だと思う。病気にはなってほしくないけど、病院の付き添いでも、買い物でもドライブでも付き添ってあげたい。いつでも言うてね。

1023、産経新聞に掲載される④

産経新聞、平成29年8月28日の夕刊の「夕焼けエッセー」と29日の朝刊の「夜明けのエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 平成28年5月の「うどんのネギ」と平成29年1月の「父母のメール」と平成29年8月の「新しい足」に続いて今回で4回目となります。

1022、新しい足(産経新聞)

新しい足

12年間連れ添った車とお別れすることになった。今年に入って、あちこち故障しだしてとうとうクーラーが効かなくなってこの暑い夏を乗り越える事が出来なくて14万キロメートル程走ってくれた愛車を手放すことになった。

 生まれつき重度の障害を持ちほとんど歩けず、車いすで生活している私が、高校を卒業し大学へ進学するにあたって、手動式の車の運転免許を取った。オートマチックの車を買って手動式の装置を取り付けて、自動車学校に持ち込んで専属の先生の指導を受け、合格した。左手には、押したらブレーキ、引いたらアクセルが動く装置だ。ハンドルにはレバーが付いていて、右手で回す。

それからは、寮から大学まで特別に自家用車での通学を許可してもらい、長い休みには神戸から運転して帰省した。卒業後は、通勤や買い物に使ったり、入院中以外は乗らない日がないぐらい毎日運転した。無事故無違反で表彰してもらったこともあるほど安全運転を心掛けている。

 18歳から車に乗っているので何度か買い換えたが、12年も長く私の足となってくれた車は他になく色々な思い出が詰まっている。友達を乗せてあげた時「障害者に世話になるなんて」と言われたが「障害があっても人の役に立ててうれしいよ」と。

 ほとんど歩けない私があちこち行けるのも車のおかげ。これからは新しい足と仲良くやっていきたい。新しい足は、どんな未知の世界に私を運んでくれるだろうか?

1021、手動式の車の運転免許

私が、様々な場所に行き活動しているのは知ってくれていても、車いすで出会う方の中には、誰かに送ってもらってそこに来たのだと思っている方が多いです。足の不自由な人に運転などできるわけがないという考え方が潜在的にあって、帰りがけに「お迎えの方は?」と聞かれた事は何度もあります。「いえ、自分で」というと不思議な顔をされるので「運転してきました」と言うと驚いたような顔をして「ほー」と。手動式の車の運転免許を取れることを知らなかった35年前の私もそうでしたから、今も知らない方がいるのなら知ってもらいたいという気持ちになりました。特に、病気や障害のある人が運転することに規制をかけられそうな風潮も出てきて、事故防止のためわからなくもないですが安全運転をしている障害者がいることも知っていただきたかったのです。

掲載の産経新聞は近畿圏に配達されているらしく、お会いした方から「読んだよ」と声をかけていただいただけでなく、遠くの方からFacebookやLINEにメッセージをいただいたり、電話やメール、お手紙をくださいました。

1020、自分のことを投稿

今回は、自分のことなのでおもしろいエピソードではありませんが掲載してもらえてうれしいです。18歳の頃の思い出を講演でお話ししているそのままを書きました。苦労とは思いませんが、大学に進学するために必要に迫られた必死の思いの中でのチャレンジでした。自転車に乗れないことで悔しい思いをした中学時代にいつか車の運転ができるようになりたいという夢の実現でもありました。

1019、産経新聞に掲載される③

産経新聞、平成29年8月8日の夕刊の「夕焼けエッセー」と9日の朝刊の「夜明けのエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 平成28年5月の「うどんのネギ」と今年1月の「父母のメール」に続いて今回で3回目となります。今までは家族ネタで楽しい父母のことを書いてきましたが、今回初めて自分のことを書きました。私が障害者であることは、地域の方ならご存知のことと思いますが、障害をネタにしたくないというこだわりがあり、普通のエピソードで全国紙の1面に掲載してもらえるかどうか試したかったのです。

1018、父母のメール(産経新聞)

2年前、父が80歳の傘寿の同窓会に行った。年々病気を理由に欠席する友達が増え、お亡くなりになる方もいて寂しくなるがおかげさまで元気に参加した。携帯電話の番号を教え合って直接つながる喜びを感じながらメールというものを教えてもらったようだ。

 そこで、私は父の日にスマートフォンをプレゼントした。友達から使い方を教えてもらって夢中になり、恋人同士みたいに「阪神勝ったぞ」「見てる」とか「今から寝る」「わしも」とかしょうもないやりとりを楽しみにしているが送る相手は数少ない。そこで母の日に弟が父と同じ携帯電話の色違いをプレゼントした。父は、母にメールの使い方を教えるのが楽しみで、どちらも80歳を過ぎての手習いに一生懸命になっていた。

 私も電話に出られないことが多く2人にメールできることを喜んだ。母は、私たちのメールを読むところまでマスターしてくれるようになったが、打つのは難しいようだ。父はスケジュールまで入力できるようになって、ゴルフの予定を入れては、何日後だと楽しみにしている。

 母にメールを送った。

 父「今日は、帰り遅くなる」母「了解」

 次の日。弟「今日は、晩ご飯いらない」母「了解」

 次の日。私「今日は、かに鍋にして」母「無理」

 私は「無理」を打つことができるようになったことをうれしく思ったが、ほめていいのか、悲しんでいいのか?

 がっかりした私が帰ったら、豪華なかに鍋だった。「了解」以外の言葉を打てるようになった喜びに輪をかけて、家族そろった日にかに鍋を食べることができた。母は、自分へのご褒美のつもりだったかもしれない。それからというものレベルアップした母から「帰りに牛乳買ってきて」というようなお使いが増えた。

1017、「夜明けのエッセー」に掲載される②

普段からサザエさん一家のような楽しい家族ですが、特におもしろかったエピソードを600字程度の文章にしてみました。遠くの方からもLINEやメールをいただいたり、電話やお手紙をくださったり、お会いする方からも「読んだよ」と声をかけていただきました。結構多くの方が読んでいるのだなあと思いました。産経抄は毎日読んでいますが朝刊に「夜明けのエッセー」が始まったのは去年からのようで、夕刊の「夕焼けエッセー」は2002年4月からだそうです。短いので簡単に読めるし、投稿なのでわかりやすい内容です。このコラムが私の目に留まるようになったのは最近で、毎回楽しみにしているほのぼのとした心温まるエピソードばかりです。読み終わって、「うんうん私もそう思う」とか「なるほど」とか、朝から楽しい気分になりました。

1016、産経新聞に掲載される②

産経新聞、平成29年1月6日の夕刊の「夕焼けエッセー」と7日の朝刊の「夜明けのエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 6日の夕方いち早く、神戸の知り合いからFacebookで「新聞見たよ」とメッセージがありました。新聞社からの連絡では、7日の朝刊と聞いていたのでビックリしました。我が家は夕刊を取っていないので確認できませんでした。朝になって早速見たら1面の右下の方に囲みコラムがあり掲載されていました。

1015、うどんのネギ(産経新聞)

うどんのネギ

 母が、昼食の準備をしている。鰹だしのいいにおいがしてきた。吸い寄せられるように私と父が台所に入った。今日のメニューはうどんのようだ。食器棚からうどん鉢を取り出した。

 父が言った。「ネギは?」。母は、「あっ!ゴメン!忘れてた!」と言って、鍋を火にかけたまま包丁を持って飛び出した。

 わが家には隣の会社を挟んで、家庭菜園の畑がある。ネギや玉ねぎなどを植えている。

  玄関から出たとたん、隣の会社にきたお客さんが母を見た。母は、血相を変えて右手に包丁を持って飛び出てきた。お客さんは、びっくりした顔で母をジロジロ 見ていた。隣の会社の人なら畑の存在を知っているが、お客さんは知らない。そこに、大慌てで包丁を持った女性が家から飛び出てきたのだ。

 お客さんの車は都会のナンバーだった。隣の畑にネギを切りに行くなど想定しなかったのだろう。鍋の火を気にかけてあわてていた母を、あやしい人物と思ったに違いない。通報されなかっただけでもよかった。

 しばらくして、ネギを手に取り戻ってきた母は「私のことをジロジロ見る変な人がいた」と言いながら、ニコニコとネギを刻んでうどんの上に乗せた。私も父も状況を聞いただけで「どっちが変な人や」と突っ込みたくなるのを抑えた。

 いまだにジロジロ見られた理由を想像できない母は、おいしそうにうどんを食べていた。