622、なぜ、いま憲法改正が必要か?

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なぜ憲法改正が必要なのでしょうか?現在の憲法は、占領期にGHQに押しつけられた憲法です。時代の変化と共に改正されるものなのに高いハードルを強いられ改正しにくくなっています。新たな時代にふさわしい自主憲法が必要です。天皇を元首として、建国以来2千年の歴史をもつ日本の伝統文化を明記することが大切です。自衛隊は世界の平和貢献や大規模災害支援にも大きな役割を果たしています。平和主義を堅持するためにも9条を見直し自衛隊の位置づけを明確にしなければなりません。また、地球規模の環境保全などの世界的な環境規定や家族を国が保護育成できる規定、国民を災害から守るために緊急事態に対処するための規定が憲法に書かれている事が必要です。このように憲法を改正するにはまず96条を改正し憲法改正へ国民が参加できる要件の緩和が求められます。以上のことから、日本が世界に誇れる国に生まれ変わるためにも国民の英知を結集して美しい日本の憲法を制定しましょう。

621、憲法改正について

平成26年10月1日、櫻井よしこ氏等3名が共同代表、青山繁晴氏等45名が代表発起人を務める「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が東京の憲政記念館で設立され総会が開かれました。私も各界の代表700名が集まる中、日本会議和歌山女性の会副会長として出席しました。
 憲法改正には、改正の原案が国会に提出され、衆参両院の憲法審査会で協議のうえ、衆参両院で3分の2の賛成により、国会より発議されます。発議より2~6ヶ月間、改正案の広報活動や賛否を表明する国民投票運動が行われ、国民投票を実施します。そこで有効投票総数の過半数(約3000万票以上)の賛成で、憲法改正が成立します。

620、外国人が作った憲法

私は、戦後生まれで、日本国憲法下で育ったので戦前の女性の事はわかりませんが、外国人の発想があったからこそ斬新な条文になったのだと思います。今では、当たり前と思っていたこともこのような形で憲法に関わってくれた外国人がいたことを知り、改めてゴードンさんの偉大な功績に感動しました。
 憲法について改正、護憲など議論が盛んになってきました。半世紀以上も前に作られた憲法にもかかわらず憲法について知らなかったことが多いこともわかり、しっかり勉強し、考えなければならないと痛感しました。

619、ペアテ・シロタ・ゴードンさんをしのぶ

憲法草案に関わった時、ゴードンさんはまだ22歳でした。そんな若さが問題視されることもおそれ、半世紀近くにわたり憲法誕生への自身の関与については語りませんでした。しかし、90年代に入ってからは積極的に発言するようになり、自伝も出版しています。

 ゴードンさんの死亡に際して弔意を示したい方は護憲団体「九条の会」に寄付してほしいと遺言しています。自身がかかわった憲法に対しての思い入れは強く、80歳を過ぎても日本での講演をこなし、平和と人権の大切さを語っています。 その足跡は 『ベアテの贈りもの』 として2005年に映画化されました。

参照 憲法に男女平等起草秘話(岩波ブックレットNO.400)

   ベアテと語る「女性の幸福と憲法」(昌文社)

618、社会的地位の低い日本の女性

ゴードンさんは、5歳から日本社会で女性の役割を見てきました。社会的権利を全く持たず離婚もできず、財産権も相続もありませんでした。住居の選択も選挙権もありませんでした。アメリカの女性との社会的地位がずいぶん違いました。戦後再来日した時、民政局のスタッフとして1946年2月から憲法草案の作成が始まりました。極秘に進められ、様々な国の憲法を研究し、日本の女性に必要な権利について憲法に盛り込みたかったそうです。日本政府の代表者は男女平等について反対し具体的に書いた草案は、民法に入れるべきだと短くされました。そんな中、1947年5月3日、日本国憲法が施行されたのです。

617、女性議員誕生

戦後、日本の議会は日本国憲法が施行されるまで、大日本帝国憲法下での帝国議会のままでした。昭和20年政府は、帝国憲法改正の研究に着手することを閣議決定し、翌年、第90回帝国議会で日本国憲法の制定の作業を開始しました。その前に衆議院議員選挙制度改正があり、39名の女性議員が誕生しました。

616、女性の立場から憲法を考える

5月3日は憲法記念日で、国民の祝日に関する法律では、日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日となっています。
 第2次世界大戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の一員として日本国憲法の草案作成に携わり、男女平等などの条文を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのため89歳でニューヨークの自宅でお亡くなりになりました。1923年、オーストリアに生まれ、著名ピアニストだった父のレオ・シロタさんが作曲家の山田耕筰氏の招きで、当時の東京音楽学校(現東京芸術大学)の教授に就任したことをきっかけに1929年に来日し、少女時代の10年間を日本で過ごしました。日米開戦前に、大学進学のため日本を離れて米国に渡りますが、戦後GHQ民政局の一員として来日し、憲法の草案作成指令を受けて人権小委員会に所属。女性の権利を明記することに尽力することになります。その起案した内容が14条(法の下の平等)、24条(婚姻における両性の平等)につながったのです。参照 憲法に男女平等起草秘話(岩波ブックレットNO.400)
   ベアテと語る「女性の幸福と憲法」(昌文社)

615、防衛協会で講演を聞く

平成27年3月14日は、全国防衛協会連絡会青年部会第14回青年研修大会「大阪大会」と近畿ブロック防衛協会青年部会連絡協議会第9回青年研修大会「大阪大会」が開かれ、明治神宮武道場至誠館館長の荒谷卓氏の「世界に誇る日本の心」と題して記念講演を聞きました。日本人が持っている助け合い、譲り合いの精神は、素晴らしい精神だと改めて気付かせてもらいました。その後、記念式典や懇親会で交流を深めました。山口采希さんが「ありがとう、じえいたいさん」などを歌いました。
 15日は、大阪防衛協会50周年記念事業として防衛・防災フェスティバルがあり、午後からは、別の団体で、ひげの隊長として自衛隊イラク派遣では第一次復興業務支援隊長を務めた佐藤正久参議院議員の「中東情勢と我が国の安全保障」と言う講演を聞きました。
竹島や尖閣諸島・北方領土など実効的支配による領土危機やイスラム国などのテロ対策、政府による集団的自衛権の解釈変更など、国防に関して国民の関心が高まっています。今年は大東亜戦争から70年という節目の年でもありしっかり日本の守りについて研修することができました。

614、東京消防庁を見学

ランチは時間の関係で登れなかったスカイツリーを目の前に食べました。午後からは、東京消防庁でいろいろな研修をしました。まず実際の火災をシミュレートした大型のスクリーンを相手に、消火器の使い方を体験しました。次に和歌山県は日本有数の台風上陸県であり、水害の多い県と言うことで暴風雨体験コーナーで強風大雨を体験し、そのすさまじさを知りました。また、都市型水害体験コーナーでは局地的集中豪雨や津波に関する映像を見て、地下のドアや自動車が浸水して水圧がかかっているドアの開放体験をしました。母は20センチまで開きましたが、私はドアも車も10センチが精一杯でした。これ以上の高さまで水が来ると車の場合は窓を割るなどして脱出しなければなりません。地震体験では、震度7までの様々な揺れを体験しました。

613、防衛省を見学

国防の拠点となる防衛省に行きました。入り口のセキュリティーが厳しかったです。まず見学した儀仗広場は、皇族や国賓などが、防衛省を公式に訪問または視察する場合、その途上を警衛し、敬意を表するための儀仗が行われる場所です。市ヶ谷記念館には、庁舎A棟の建設に伴い解体された1号館の象徴的な極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された大講堂があり、床板30センチ角のナラ材の7200枚のうち399枚以外は一枚一枚番号を付けて移設・復元されました。館内では、旧陸軍大臣室や陛下の御休憩所であった旧便殿の間や割腹自殺した三島由紀夫が演説したバルコニーやドアの傷跡を見学しました。厚生棟の売店で海軍カレーを買って休憩。厳しい訓練や長い航海の途中では曜日がわからなくなる時があるので、金曜日にはカレーを食べる伝統があるそうです。屋外ヘリ展示場は、陸上自衛隊で実際に使用されていた多用途ヘリUH-1H(ひよどり)の前で操縦席に座っての記念撮影もしました。メモリアルゾーンは、市ヶ谷地区内に点在していた記念碑などを集約・整備・再配置した場所です。警察予備隊創設以来、職務に殉ぜられた隊員の功績を永久に顕彰し、深甚なる敬意と哀悼の意を捧げる自衛隊殉職者慰霊碑に祈りました。