593、放射線は悪者ではない

五山の送り火にと岩手県から届いた薪から「放射線」が出たから燃やせないなど、慎重しすぎる行政の対応は被災地の人の心を傷つけます。確かに何百キロも離れた所でも汚染はされているでしょうが、福島の原発内で毎日働いている作業員は今もいくらかの「放射線」を浴びながら仕事をしているのですからこちらの方がはるかに心配です。福島の原発事故で「放射線」が原因で亡くなった人は事故から半年たった今もいません。そんな中でも交通事故や自殺で毎年何万人も死んでいる現状をどうとらえますか?交通事故の危険性があるからといって車も電気もない生活ができますか?今回の事故がなかったら、電気がどうして作られているか関心もなかった人がほとんどでしょう。CO2の排出がなくてエコだからと電気自動車やオール電化が売れたと思うと、電気が足りないから節電だと、右向け右、左向け左で世論が左右される国民性が怖いのです。
「放射線」は悪者なのでしょうか?今マスコミで取り上げられているベクレルやシーベルトという単位は研究者の名前です。それほどまでに文明の発達に貢献した「放射線」が嫌われ者になるのは心外です。

592、放射線について

キュリー夫人は研究中白血病で倒れました。確かに「放射線」は細胞を破壊し癌になる危険性があります。チェルノブイリの原発事故や広島・長崎の原爆で被害を受けた人がいます。しかし、その被ばくの時間や量や放射性物質の種類は、福島と同じではありません。ウランの核分裂によって生じるセシウム137は、半減期(「放射線」の量が半分になる時間)が30年の放射性同位体です。体内に入ると血液の流れに乗って腸や肝臓にベータ線とガンマ線を放射し、カリウムと置き換わって筋肉に蓄積し、腎臓を経て100日から200日かかって体外に排出されます。汚染された空気や飲食物を摂取することで、体内被曝します。しかし、どれぐらいの被ばくでどれぐらい危険か、いつ発病するかなど専門家でもはっきりわからないのです。それは「放射線」による人体への影響のデータが少ないからです。だから基準値といっても危険率という確率を計算して暫定規制値を定めただけなのです。専門家でもわからないことをむやみに恐れたり、「ただちに影響はない」などとごまかして安心しようとしたりするのは一番危険です。初めて聞く単位を恐れてしまうのは、あの新型インフルエンザの時のマスクの売り切れと似ています。

591、理科が好きになった理由

私が理科を好きになったのは、小学校の国語の教科書に、千円札の肖像となっている野口英世の伝記が載っていたからです。幼いころやけどがもとで指が不自由になりながらも医学者として偉大な功績を残した博士にあこがれたからです。中学校に入り、理科を教えてくれたのが、阪本保征先生(現御坊市教育長)でした。当時の理科の教科書には「放射線」のことも書かれていて、関心を持った私は図書館でキュリー夫人をはじめ科学者の伝記を読みあさりました。それでますます理科が好きになりました。
 そんな理科の教科書から「放射線」の記述が消えていたなんて知りませんでした。30年ぶり復活ということは、あの教科書で教えてもらった最後の生徒なのですね。私より年下の世代は義務教育で「放射線」について習っていないのです。ということは私より若い学校の先生は習っていないことを教えなければならないのです。先生になったのだから大学で習っていても中学生にどう教えたらいいのか、難しいところです。

590、信仰と出会った母

めちゃめちゃ明るく元気な母の前向きな考えは、私が生まれたときから信仰している念法真教の教えから来ています。先祖を大事に、いつも自分より人の喜ぶことに一生懸命になる人です。私がいろんな分野でがんばれるのは母のおかげですが、いまだに何も恩返しをしていないことが申し訳ないことです。ただ大きな声で言えることは母の子どもでよかったということです。それで多くの人に私の生い立ちを知って励みに思ってもらおうと、10年ぐらい前から母と一緒に全国講演活動しています。私より母に握手を求めてこられる方のほうが多いですよ。

589、プラス思考の母

母は、「障害のお子さんを持って大変ですね。」と言われたとき、「ゼロからのスタート」だと言います。「産まれたときから仮死状態でゼロだと思えば、あと100点分がんばれる。60点ぐらいの普通の健常児にうまれていたらあと40点しか楽しみがないから、私の方が幸せだ。歩けたことも喜び、学校に行けたことも、仕事ができることも、プラスプラスでした。」と。

588、母の支え

卓球と出会い、世界大会など飛行機を使う試合へはついていってくれました。一番の親不孝だと思うのは、腸管出血でトイレで意識不明で倒れたときです。この時はもうだめかと思ったそうです。仕事で夜遅くなっても起きて待っていてくれます。昨年、「御坊市議会議員に立候補したい。」と言った時、自分の父で苦労を知っているがゆえに反対しました。しかし、「応援してくれる人の期待に答えたい。」と言うと、誰よりも心強い応援団として裏方で支えてくれました。

587、運転免許を取って送り迎え

私が幼稚園に入る前に父の反対を押し切って車の運転免許を取って、それから幼稚園小中高校と朝夕送り迎えしてくれたのです。はじめは単車で私の体が大きくなって前が見えにくくなってからは車での送り迎えでした。中学生の頃「寄り道が出来ないからいやだ。」と思う事もありましたが、無遅刻無欠席の14年間でした。私は、「なぜ?どうして?」とよく質問する子でしたが忙しい時もうるさがらず答えてくれたり、一緒に調べてくれました。社会科見学や遠足や修学旅行には母もついていってくれました。プールの時間は一緒に水につかってくれました。でも神戸学院大学はついていけず、思い切って送り出してくれました。

586、母の日にあたって

私の母サト子(82)は、常照寺の五男で御坊市議会議長や御坊農協組合長を勤めた哲量の次女として、御坊市薗で生まれました。和歌山県庁に勤めていた父楠美とは近所で幼馴染だったそうです。結婚してなかなか子どもに恵まれず3年目にやっと産まれた女の子が1ヶ月で亡くなり、2年後産まれた待望の赤ちゃんが私でした。ところが仮死状態であちこちに異常があって、日赤和歌山病院へ入院した私の看病のため、母は南海バスの事務員を退職しました。私は母の苦労を知りませんがたくさんの手術やリハビリ、マッサージなど2年半後に歩けるようになり退院するまで大変だったと思います。入院中から7つ下の弟が産まれるまで毎日本を読んでくれました。

585、メディアが取り上げる障害者とは

私は、『バリバラ』の前の番組「きらっといきる」の第15回ゲストとして出演しました。30分番組で間の10分の映像ドキュメントの撮影に4日かけて密着取材されました。母も「障害のあるお子様を産んで大変でしたね?」とインタビューされ、「歩けたことも喜び、学校に行けたことも喜び、仕事が出来るようになったのも喜びで、60点ぐらいの普通のお子様なら40点の喜びをもらえますが、0点の仮死状態で産まれゼロからスタートしたので、100点分の喜びをいただけて私は幸せです」と答えました。母は、放送を楽しみに友達に「テレビ出るから見てね」と触れ回り、オンエアでカット。私は「大変でした」と涙の一つでも流しておけばカットされることはなかったのではないかと思いました。苦労した母親でないと絵にならないのです。きっと苦労はしているでしょうが、母には吹き飛ばす明るさがあり障害者の番組にはふさわしくなかったのでしょう。私も「料理を作って下さい」と言われ、カメラがまわる中チキンライスを作りました。しかし玉ねぎのみじん切りも細かく上手で「障害者らしく」なかったので採用されませんでした。また、選挙に立候補してしまうと落選しても次を狙っての売名行為として受け取られメディアからは遠のくのです。乙武君のようにぎりぎりまで引っ張って有名になった上での立候補であれば彼は両手足がなくさわやかなイメージでイケメンで「絵になる障害者」だったのです。そのさわやかさが裏目に出たスキャンダルもまたメディアとしてはいいネタとなったのです。

障害者がメディアにとらえられるにはまだまだ多くの障壁があります。メディア側にも視聴者側にもバリアがあってこの心のバリアがなくなって、がんばらなくても、感動してもらうのではなく普通にメディアに出られる時代が来るよう願っています。

584、感動ポルノについて

毎週日曜日19時からNHK・Eテレの『バリバラ』という障害者の為の情報バラエティー番組があり平成28年8月28日も放送されました。ちょうど裏番組が日本テレビの「24時間テレビ」だったこともあり「障害者と感動」を結びつける風潮に疑問を投げかける内容の放送をしたことで、議論が起こっています。番組全体を貫いていたのは「感動ポルノ」というキーワードです。自身も骨形成不全症を患いながら、オーストラリアでコメディアンと ジャーナリストとして活躍したステラ・ヤングさん(1982~2014年)が唱えたもので、障害者を健常者が感動するための「モノ」として扱うような行為を指す言葉です。なぜテレビや新聞といったマスメディアは、障害者を「同情すべき人」あるいは「感動を与える存在」に仕立てあげてきたのでしょうか?「自分はまだ恵まれている」と健常者に思わせ、障害者が何かをやるだけですごいと思ってしまう価値観フィルターが存在しているのです。「障害があってもがんばれ」という美談がはびこっている現実をステラさんは指摘しました。