474、乃木神社へ参拝



平成27年3月8日・9日と東京へ研修に行ってきました。早朝なので父に関空まで車で送ってもらい、母と一緒に約1時間で羽田へ着きました。
8日は神社に参拝。まず、近代国家として歩み始めたわが国の存亡が大きくかかった日露戦争において、陸軍の指揮を執り旅順要塞を陥落させた乃木希典陸軍大将が祀られている乃木神社に参拝しました。明治天皇の崩御の際に静子夫人と殉死した乃木の邸宅であった場所の隣にあります。境内には乃木大将が師事した玉木文之進とその甥の吉田松陰を祀る正松神社もありました。
 その後、日露戦争で聯合艦隊司令長官として、大国ロシアのバルチック艦隊を撃滅して世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げた東郷平八郎元帥海軍大将が祀られている東郷神社を参拝しました。日露戦争に勝利したことは、わが国を国難から救っただけではなく、当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、 大きな喜びと希望を与えました。

473、皇紀2600年奉祝曲「海道東征」

12月8日、日本会議和歌山設立10周年と私が副会長をしている日本会議和歌山女性の会の5周年の式典がホテルグランビアで和歌山でありました。第1部の記念公演として和歌山市交響楽団と和歌山市響合唱団による皇紀2600年奉祝曲「海道東征」は、詩人北原白秋の作詞に曲をつけたもので、神武東征と御即位された物語を壮大に奏でたものでした。第2部の式典で元田辺市の教育長角荘三会長の挨拶があり、第3部の講演では、三好達日本会議会長が「日本の覚悟」と題して、誇りある国であるとの自覚を持とうと日本人の伝統精神文化の継承についても講演してくださいました。その日本会議の機関紙「日本の息吹12月号」に作家の山村明義氏が「式年遷宮」について寄稿されています。その中で、「日本人が大切にしてきた神々に魂を込めてこそ将来の繁栄・発展と伊勢神宮の永遠性を花開かせる。東京五輪の開催にあたってもおもてなしの精神には神道の魂が必要。この魂を取り戻すことが大切だ」と語っています。
 神様のお導きによっていろいろな体験をさせていただきました。伊勢神宮に行けて心が洗われた気がします。

472、バリアフリーの参拝


「伊勢神宮に行く」と言ったら、津波防災研究会理事の二階俊樹さんが、JINRIKIという車いすを引っ張る道具を貸してくれました。これは、前輪を浮かすことにより楽に車いすを引っ張ることができるので女性でも少しの力で簡単に動かせます。我が家の前で母が実際試してみて、これならあの伊勢神宮の砂利でも大丈夫と思いお借りしました。伊勢神宮に到着しバスから降ろそうとしましたが、旅行会社の方が事務所で間一髪「電動車いすを借りることができた」と言ってくれました。「参拝者が多く数に限りがあるので借りられるかどうかわからない」と言われていましたが朝早かったので最後の一台が残っていました。ということで、母のぎこちない電動車いすの操作にカックン・カックン揺られながらも参拝できました。せっかくのご厚意のJINNRIKIは使えませんでしたが、これは、緩やかな階段でも雪でも砂利でも使えとてもいいと思いました。福祉用具としても貸与ができ緊急時の要援護者の避難に有効です。二階さんは、幼稚園や地域での避難訓練を精力的に行っていて、リヤカーで子どもたちを避難させていて、高齢者用のリヤカーを考えていた時、テレビでJINRIKIを見てすぐに取り寄せたそうです。

471、伊勢神宮に参拝

あくる日、伊勢神宮に参拝しました。20年に1度という第62回式年遷宮の年ということで参拝客で一杯でした。遷宮とは、神社の正殿を造営・修理する際や、正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すことです。内宮には、皇室の氏神である天照大御神の「御霊代」や天皇陛下が守られる三種の神器の一つである「八咫の鏡」が祀られています。式年とは定められた年という意味で伊勢神宮では20年に一度行われます。第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690年)のことです。それから1300年にわたって続けられ、昭和48年に第60回、平成5年には第61回が行われ、第62回は、平成17年の山口祭から始まり、今年はたくさんの行事が執り行われました。

470、伊勢神宮へ行く


平成25年、母が紀州中央農業協同組合女性会の御坊支部長をさせていただくことになって、京都日帰り研修旅行などの企画を手伝いました。来年4月の合併を前に伊勢神宮に一泊旅行に行くことになり、会員として私も連れってもらいました。
 12月5日、バス3台100名の一行は、長島温泉に向かいました。関のサービスエリアで昼食を食べ、2時前には、ホテル花水木に到着。アウトレットや遊園地に行った人もいますが私と母は、ゆっくり温泉につかり日頃の疲れをとりました。笹みどりのショーを少し見て、バスに乗って、なばなの里に行きました。富士山のイルミネーションが四季折々の色でとてもきれいでした。心配していたほど寒くなく、宴会場のホテルに戻りました。

469、バリアフリーは観光客を呼び込む












これらの企画には、NHK和歌山放送局が取材に入ってくれ、平成26年の熊野古道世界遺産登録10周年記念と平成27年のきのくにわかやま国体を前に和歌山に観光客を呼び込むため障害者でも十分楽しめるということをPRしてくれました。
 私も、熊野古道といえばでこぼこ道のウォーキングというイメージがあり車いすで散策できるなんて思っていませんでした。しかし、皆さま方のおかげで、癒しの山々を間近に眺めることができ、歴史を感じることが出来ました。今回モニターした内容をもとに観光施設や温泉宿泊施設等の段差解消などの整備をし、和歌山の良さを知ってもらい、多くの方に熊野古道を訪れていただきたいなと思いました。

468、バリアフリーツアーのモニターになる

このような取り組みが田辺市でもあり、11月15・16日には田辺市熊野ツーリズムビューローが和歌山県新しい公共の場づくりのためのモデル事業として「バリアフリー熊野古道&川湯温泉モニターツアー」を企画。私もモニターとして参加させてもらいました。こちらは家族や友人のグループに障害者や高齢者がいるという設定だったので集合の秋津野ガルデンまで自家用車で行き、すべての行程を列を連ねてついて行くということになりました。私も母を隣に紅葉を眺めながら運転しました。今回はモニターツアーということで、NPO法人WACわかやまのボランティアさんや看護師さんも同行する中、車いすを使っている4組8名の障害者が参加しました。まず熊野古道館を語り部さんの説明で見学し、滝尻王子を参拝しました。夜は、川湯温泉に宿泊し、旅の疲れをとりました。あくる日は、語り部さんの案内で水呑王子と発心門王子を参拝し、熊野古道弁当を食べました。季節のおかずにめはり寿司やいなり寿司、赤飯のおにぎりなど修験道の風情をかもしだしたおいしいお弁当でした。昼からは、熊野本宮大社を参拝しました。今回は、車いすの前輪にロープを付けて二人で引っ張ってもらい砂利道を進みました。世界遺産となると、舗装やスロープ、手すりなど取り付けにくくなりソフト面でのバリアフリーとなりました。最後に大斎原を見学し解散となりました。

467、熊野本宮大社を参拝

参加者約200名はリフト付きバス3台を含む6台のバスに分かれて熊野本宮大社を正式参拝しました。県庁の職員さんらは朝早くからベニヤ板で通路をつくって下さり、車いすでも砂利の境内を進みやすいように配慮して下さいました。正式参拝の後は発心門王子へ移動し、アスファルトで舗装された約1キロメートルの熊野古道ウォークを体験し、大自然を満喫しました。今回は、和歌山県が主催で障害者連盟が全国の障害者に呼びかけるという形で協力させてもらいました。障害があっても楽しめる熊野古道をPRし、和歌山の観光行政の一役を担えれば幸いです。

466、熊野古道で平和を祈る

毎年、和歌山県身体障害者連盟の理事会の後、仁坂吉伸知事との懇談会が開かれます。その席で、熊野古道で全国障害者サミットをしようと提案があり、知事も賛同され実現したのが、10月30・31日行われた「全国障害者熊野古道交流会」です。コガノイベイホテルで行われた熊野古道フォーラムでは、「世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』~癒しと蘇りの熊野古道~」と題して、熊野語り部の会の坂本勲生会長の講演や熊野曼荼羅絵解きや創作落語「熊野詣」を聞きました。夜の部の交流会には仁坂知事も駆け付けて下さり、全国から参加された障害のある皆さんに「和歌山の魅力をご堪能下さい。」と挨拶。田辺市長や白浜町長の歓迎の言葉に続き、円月太鼓や小芝陽子歌謡ショーのアトラクションがあり、和やかなセレモニーとなりました。

465、「鳴門ドイツ館」を見学

「鳴門ドイツ館」に行きました。大正三年(一九一四年)、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの租借地であった中国・山東半島にある青島(チンタオ)を攻略しました。その時、敗れたドイツ兵約五千人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られました。そのうち、四国の徳島・丸亀・松山にいた約千人が大正六年(一九一七年)から約3年間を鳴門・板東俘虜収容所で過ごしました。板東の町では、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景があたりまえのように見られるようになったそうです。館内の展示資料からは、当時の収容所生活のほか、牧畜・製菓・建築・西洋野菜栽培・音楽・スポーツなどドイツの進んだ技術や文化を取り入れようとした当時の様子がうかがえます。ここの売店で、「バルトの楽園」のDVDを購入し、帰りのバスの中で皆で観ました。
二日間の研修旅行で四国を満喫しました。お遍路さんのことも乃木希典も坂本龍馬も板東俘虜収容所のことも知りませんでした。教科書では学べなかった幕末・明治維新から近代の歴史を勉強するいい機会となりました。