1028、キッチンのリフォーム(産経新聞)

キッチンのリフォーム

 先日、キッチンをリフォームした。自宅を新築した38年前から毎日使っているキッチン。朝昼夜の家族の食事を支えてくれた。和洋中華何でも母は作ってくれた。煮物、炒め物、揚げ物などを楽しそうに作る母の後ろ姿を見ながら食器をテーブルに並べる。取れたての魚もうまく刺身にする包丁さばきはプロ並みだ。

家族が健康で毎日そろって台所で食事を囲める幸せをかみしめている。目を離した隙に吹きこぼれたおかいさん(茶粥)、ガスを消し忘れて焦がしてしまった鍋。電話に夢中になって火事になりかけた天ぷら油。誕生日にはご馳走が並ぶ狭い空間だが母のお城。思い出いっぱいのキッチン。

ある日、母がシンクを汗だくになりながら磨いていた。私は「もうすぐ捨てるのにそんなにきれいにすることないじゃないの?」と言った。「長い間使わせてもらったお礼の気持ちよ」と母は言った。

リフォームの日が来た。母は取り外されたシンクを寂しそうに眺めながら、新しいキッチンを喜んでいた。業者が帰って家の隣の畑を見た。なんと畑の入り口に捨てたはずのシンクが堂々と君臨していた。「まだ使えそうだったから、ここに置いてもらった」と母は言った。新しい命を吹き込んでシンクは生まれ変わった。これからは、泥のついた大根や芋がきれいになって家族の笑顔が待っているキッチンに運ばれてくるのだろう。シンクの第2の人生のドラマはスタートを切った。

1027、産経新聞に掲載される⑤

産経新聞、令和元年10月19日の朝刊の1面「朝晴れエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 「夕焼けエッセー」は平成14年4月1日から関西圏の産経新聞の夕刊に掲載していたエッセーです。平成28年2月から朝刊に「夜明けのエッセー」として北陸や中四国、南近畿に掲載された時から私は毎日楽しみに読んでいます。読むだけでなく投稿もしようとチャレンジして平成28年5月13日の「うどんのネギ」と平成29年1月7日の「父母のメール」と平成29年8月9日の「新しい足」と平成30年8月29日の「母の付添い」に続いて今回で5回目の掲載となります。今年の4月からは、「朝晴れエッセー」となり、全国にエリアが広がり応募者も増えて、採用基準も高まり審査が厳しくなりました。そんな中での掲載でとてもうれしいです。

1026、首の手術成功

母は、手が上がりにくいだけではなく、足もしびれていて歩くのも一苦労の状態でした。労災病院では、検査の結果、首の手術が必要ということになりました。首の手術と言われて何となく怖いイメージがありいろんな人に相談すると同じような症状の方がいました。励まし合いながら情報交換しました。まず手術の説明を聞きに私も行きました。首の骨を切って開いて、神経に触っているのをなくして、戻らないように人工骨を入れるそうです。15センチほど切るということで血糖値を下げるため早めに入院しました。大きな手術だったにもかかわらず、回復は早く、あの苦しそうだった母が、すっかり良くなってスタコラ歩けるようになりました。ご心配おかけしましたが元気になり退院しました。医療技術の進歩と医師をはじめ病院の関係者のおかげです。ありがとうございました。

1025、母の病気

平成30年6月に地元の病院をはじめて受診した時のエピソードです。この日、首のMRIを取ってもらい神経が細くなっているところがあることがわかりました。そこで大きな病院を紹介してもらうことになりました。希望を聞いてくれたので以前日高病院に勤務していた整形外科の麻埴生先生に労災病院で腰の「すべり症」の手術をしてもらっているので労災病院へ紹介状を書いてもらいました。「すべり症」が完治して外来が終わったところでした。なかなか予約が取れず7月になって労災病院へ行きました。

1024、母の付添い(産経新聞)

81歳の母が、右手が上がりにくくなったと言うので、車に乗せて病院へ付き添った。母は、車から降りると、後部座席に積んでいた私の車いすを手際よく出して、運転席のドアの前に広げてくれた。私「右手痛くない?」母「大丈夫、上がりにくいだけ」と。

 母は、私の車いすを押しながら、整形外科の診察室に入った。医師は「どうされましたか?」と私に向かって、聞き始めた。私は「患者はこっちです」と母を指さした。「あーそうでしたか」と、医師は私の方を見てまちがったことをわびた。整形外科に車いすで入ってきたら、誰が見ても患者だと思う。

 医師は、あらためて母に「今日はどうされましたか?」と聞いた。

 私は、既往歴や服用中の薬から始まって、今の母の病状を詳しく説明した。医師は、私の言葉を遮るように「ご本人に聞いています」と。私は、母の付き添いの責任を果たそうと雄弁に語った。「付き添いの方はあちらでお待ちください」とまで言われた。このやかましい付き添いは何もんなのだろうと思ったに違いない。

 今まで私の身体のことで、どれだけたくさんの病院に母に付き添ってもらったことか。仮死状態で生まれ、あちこちの病院に入院し、何度も手術を繰り返し、やっと車を運転できるようになった。こんな時こそ親孝行ができる付き添いがうれしかった。これからが恩返しの本番だと思う。病気にはなってほしくないけど、病院の付き添いでも、買い物でもドライブでも付き添ってあげたい。いつでも言うてね。

1023、産経新聞に掲載される④

産経新聞、平成29年8月28日の夕刊の「夕焼けエッセー」と29日の朝刊の「夜明けのエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 平成28年5月の「うどんのネギ」と平成29年1月の「父母のメール」と平成29年8月の「新しい足」に続いて今回で4回目となります。

1022、新しい足(産経新聞)

新しい足

12年間連れ添った車とお別れすることになった。今年に入って、あちこち故障しだしてとうとうクーラーが効かなくなってこの暑い夏を乗り越える事が出来なくて14万キロメートル程走ってくれた愛車を手放すことになった。

 生まれつき重度の障害を持ちほとんど歩けず、車いすで生活している私が、高校を卒業し大学へ進学するにあたって、手動式の車の運転免許を取った。オートマチックの車を買って手動式の装置を取り付けて、自動車学校に持ち込んで専属の先生の指導を受け、合格した。左手には、押したらブレーキ、引いたらアクセルが動く装置だ。ハンドルにはレバーが付いていて、右手で回す。

それからは、寮から大学まで特別に自家用車での通学を許可してもらい、長い休みには神戸から運転して帰省した。卒業後は、通勤や買い物に使ったり、入院中以外は乗らない日がないぐらい毎日運転した。無事故無違反で表彰してもらったこともあるほど安全運転を心掛けている。

 18歳から車に乗っているので何度か買い換えたが、12年も長く私の足となってくれた車は他になく色々な思い出が詰まっている。友達を乗せてあげた時「障害者に世話になるなんて」と言われたが「障害があっても人の役に立ててうれしいよ」と。

 ほとんど歩けない私があちこち行けるのも車のおかげ。これからは新しい足と仲良くやっていきたい。新しい足は、どんな未知の世界に私を運んでくれるだろうか?

1021、手動式の車の運転免許

私が、様々な場所に行き活動しているのは知ってくれていても、車いすで出会う方の中には、誰かに送ってもらってそこに来たのだと思っている方が多いです。足の不自由な人に運転などできるわけがないという考え方が潜在的にあって、帰りがけに「お迎えの方は?」と聞かれた事は何度もあります。「いえ、自分で」というと不思議な顔をされるので「運転してきました」と言うと驚いたような顔をして「ほー」と。手動式の車の運転免許を取れることを知らなかった35年前の私もそうでしたから、今も知らない方がいるのなら知ってもらいたいという気持ちになりました。特に、病気や障害のある人が運転することに規制をかけられそうな風潮も出てきて、事故防止のためわからなくもないですが安全運転をしている障害者がいることも知っていただきたかったのです。

掲載の産経新聞は近畿圏に配達されているらしく、お会いした方から「読んだよ」と声をかけていただいただけでなく、遠くの方からFacebookやLINEにメッセージをいただいたり、電話やメール、お手紙をくださいました。

1020、自分のことを投稿

今回は、自分のことなのでおもしろいエピソードではありませんが掲載してもらえてうれしいです。18歳の頃の思い出を講演でお話ししているそのままを書きました。苦労とは思いませんが、大学に進学するために必要に迫られた必死の思いの中でのチャレンジでした。自転車に乗れないことで悔しい思いをした中学時代にいつか車の運転ができるようになりたいという夢の実現でもありました。

1019、産経新聞に掲載される③

産経新聞、平成29年8月8日の夕刊の「夕焼けエッセー」と9日の朝刊の「夜明けのエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 平成28年5月の「うどんのネギ」と今年1月の「父母のメール」に続いて今回で3回目となります。今までは家族ネタで楽しい父母のことを書いてきましたが、今回初めて自分のことを書きました。私が障害者であることは、地域の方ならご存知のことと思いますが、障害をネタにしたくないというこだわりがあり、普通のエピソードで全国紙の1面に掲載してもらえるかどうか試したかったのです。