1551、ズボンをはく祖母

スカートをはいている

祖母を見たことがありません。

義足のことを

人に知られたくないからと

ズボンをはいていました。

若い頃の写真を見て

はじめて

スカートをはいている祖母の姿を見ました。

今では

義足を付けることは別に恥ずかしいことはないと思いますが

当時

世間的に障害者になることは

恥ずかしいことだと思っていたようです。

杖の練習をすれば

出来たと思いますが

障害者になったことがばれると思ったようです。

義足をはいて

ズボンでスタコラ歩いていると

誰も

片足が切断されているとは

わからないのです。

1550、病院へ駆けつける

私の記憶は

祖母が

病院へ運ばれたということで

まだ車の運転免許を取っていなかった母が

タクシーで私と一緒に

病院へ駆けつけたことです。

交通事故に遭う前の祖母のことは

何も覚えていません。

ですから

祖母というのは

皆片足が義足なんだと

思っていました。

1549、祖母の交通事故

私が幼稚園の年少の頃です。

その祖母が

交通事故で右足を切断するという大怪我をしました。

それまでは、自転車にも乗っていた祖母ですが

片足では立つことも歩くこともできなくなりました。

松葉杖を練習しましたが

こけて危ないので

義足をはくことになりました。

義足は、

クリスマスのお菓子がいっぱい入った

プレゼントみたいだと私は思いました。

足と同じ肌色でとても重かったです。

事故の詳しいことは

大きくなるまで知りませんでした。

祖母の足は、

膝の下が細くなっていて

ソーセージのように

丸くなって足首がついていませんでした。

1548、おばあちゃんの布団へ

夜になると

1年生になったからと

一人で布団に入ることになりました。

でも

生まれたばかりの弟は

母のお乳を吸いながら

すやすや眠っています。

私は

お乳を吸う歳ではないから

お姉ちゃんになったから

弟をさし置いて

母に甘える事が

できませんでした。

そんな私の気持ちを察して

おばあちゃんは

「ここへ来るか?」

と布団をめくりあげてくれました。

私は

嬉しい気持ちを隠して

布団の中へ顔を埋めました。

1547、お姉ちゃんになる

1年生の年末に弟が生まれ

お姉ちゃんになりました。

今まで一人っ子で

身体が不自由だからといって

皆がやさしく

わがままし放題に

可愛がられてきました。

でも母は

幼い弟の世話もすることになり

私ばかりにかまっていられなくなりました。

そんな時

優しく遊んでくれたのが

おばあちゃんでした。

1546、がんばったらできる

25メートル泳げたときは、

2本目のリボンを付けてもらいました。

50メートル泳げたとき

クラスの皆や先生たちが

プルサイドで拍手や

「頑張れ、もう少し」と

励ましてくれました。

私はしんどくて

もう足をついてしまいそうになりましたが

最後まで泳ぎ切りました。

「おめでとう。やったー」

と皆が駆け寄ってくれました。

私は今でもその時のことは忘れられません。

頑張ったらできることもある。

達成感がにじみ出てきました。

これからも何でも最後まで

あきらめないで頑張ろうと思いました。

1545、泳ぐ練習

プールの授業の日

母は、着替えを手伝ってくれました。

そして一緒にプールに入ってくれました。

私は、先生の指導で

顔つけ、手の漕ぎ方

足のバタバタのしかた。

息の仕方

など教えてもらいながら

一生懸命に練習しました。

夏休みもプールの日は

休まず頑張りました。

そして、10メートル

泳いで帽子に黒いリボンを付けてもらいました

1544、プールの授業

5年生になった夏の日でした。

「次の体育はプールだ。お前も泳げ」と体育の先生に言われました。

私は、家族で海水浴に行っても

浮き輪を使わなければ泳げません。

浮き輪は小学校では禁止です。

ですから

「無理」と答えました。

先生は

「着替えにはお母さんにも来てもらいましょう」

「えーっ!」

「浮き輪なしでも泳げるようになりましょう」

和歌山県御坊市は、昭和28年7月

水害で大きな被害を受けました。

それを経験した先生が

そんな時、泳げたら助かるからと

思ったそうです。

1543、図書館で過ごす

見学がつまらなかったので

一緒に見学をしていた友達と

廊下を走っていました。

教室では、他のクラスが授業をしていました。

大きな声を出したので

怒られました。

「騒ぐのならここで本でも読んでいなさい。」と

図書館のカギを開けてくれました。

それからは、見学せず図書館にいることにしました。

読みたい本がいっぱいありました。

読み切れなかった本は借りて家で読みました。

私が好んで読んだ本は

伝記やなぜなぜ事典でした。

野口英雄やキュリー夫人に関心を持ち

理科が好きになりました。

また、ヘレンケラーという人にも感動しました。

1542、「保健体育」の通知表

見学ノートや感想文を書かされます。

「○〇ちゃん、頑張っていた」など

毎回同じような内容になってしまいます。

いろいろな競技の中には、やってみたいのもありましたが

出来ないだろうと思いました。

ルールはすべて覚えました。

通知表は、「保健体育」の科目なので

ペーパー試験は、100点に近かったので

「1」は付かず「2」でした。