車いすバスケットボールの大会を主催したのは、日高地方脊椎損傷者会だった。
その会長をしていたのが上道廣己さん。
上道さんは、昭和49年8月に大雨の中、車を運転していて13メートル下に落ちる事故に遭い頸椎を損傷した。
24歳の時だった。
奥様が22才で子どもが1歳2か月で大変だったそうだ。
退院後、全国脊椎損傷者連合会和歌山県支部に入会し、多くの脊椎損傷者や頸椎損傷者と出会った。
障害が重いゆえに同じ障害を持つ者同士でないと理解できない事が多かった。
一緒に集まって分かち合い、励まし合うピアサポート活動を始めた。
ピアサポートとは、同じ問題を抱える者が集まり、それぞれの状況での自分の体験や行動、考えなどを披露し、互いに語り合うことにより支え合うこと。
上道さんの元には同じ障害をもつ患者や家族などが相談に来て、上道さんの体験を話すとともに行政や医療機関との窓口としても適切なアドバイスをしている。
そんな中、日高地方脊椎損傷者会を立ち上げ、車いすバスケットボールの大会を開催することになった。
その後10年間に渡って、日高地域で目の前で車いすバスケットボールを見せてもらえたのである。
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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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