柳岡克子の生い立ち 44、卓球と出会って学んだこと

パラリンピックヘの夢は夢として大きく持ち続けていたいが、実際のところ、日本選手団が約80人と仮定したとして、卓球で10人以上の選手は望めない。
夏の大会は種目が多いからだ。
陸上や水泳などいろいろあり、バスケットやバレーは1チームでも大勢になる。
だから、選考基準が厳しくなり世界を相手にメダルをねらえる人が選ばれることになる。
障害者スポーツがリハビリの域を越えて、競技性が高まりつつある。
今回のUSオープンは互いに助け合って楽しい思い出となったが、選考時にはライバルにもなる。
何とも厳しい世界である。

長野パラリンピックのテレビの映像から、障害者スポーツに多くの人が関心を持ち、勇気と感動をもらったことはすばらしい。
卓球を始めて学んだ事、知った事、出会えた人など、私にとって得たものは計り知れない。
私が卓球をするにあたっては、多くの人にお世話になり、見知らぬ人にまで励ましていただいたことは大きな支えとなった。
全くの初心者だった私を指導して下さった「わかやま卓友会」の仲間や、その他多くの方々の協力のおかげでとてもいい環境で練習を続けてこられた事に感謝している。

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柳岡 克子(やなおか よしこ)
柳岡 克子(やなおか よしこ)
車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。



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