柳岡克子の生い立ち 42、パラリンピックをめざして

25名の日本選手団として一緒に行って、バスや飛行機の乗り降り一つをとってみても大変なことだ。
ボランティアなどはなく選手以外は団長と私の母を含め4人だけで、片方の手がなかったり、義足だったりで自分のことだけでも大変なのに助け合って荷物や車いすを運んだ。
1人が車いすの方を抱きかかえて座席まで運ぶ。
抱いている間に別の方が車いすのクッションを次に座る座席に置き換えなければ、床ずれができて困るそうだ。
29名の一行は皆が協力し合っての旅になった。
2人とも車いすの夫婦は、4台の車いすを車に積み込んで名古屋から成田までだんな様の手で運転する車で来ていた。
自分たちが乗る車いすが2台であとの2台はスーツケースを乗せる車いすだった。
それで飛行場に着いたらスイスイと移動していた。
前の車いすにはスーツケースを顔が隠れるぐらい乗せて、自分は後ろの車いすに乗って前の車いすを押す。
私も真似をした。
左へ曲がっていった。
当たり前だ。右手ばっかりこいでいたからだ。
その夫婦は2人とも左右の手を変えていた。
だからまっすぐ進んでいたのだ。

また、ゼッケンに会社の名前を書けば広告になるからと、仕事を辞めてプロの卓球選手になった方がいた。
笑ってしまったのは、卓球のしすぎで障害者になった方だ。
「そこまでするな!」と言いたくなった。
中学校のとき全国大会、高校のときインターハイで大人になったら国体に出て、ものすごく強かった。
練習しすぎで膝を壊してしまったらしい。
障害者になってもまたいい成績を残していた。
費用を支援してもらえるスポンサーを見つけた方もいた。

投稿者プロフィール

柳岡 克子(やなおか よしこ)
柳岡 克子(やなおか よしこ)
車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。



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