まず練習を見学に行って、その場で入れてもらった。
卓球などできるとは思っていなかったが、私より体の不自由な人が生き生きとがんばっている姿に感動した。
私が2歳の頃、歩く訓練のため入院していた和歌山市にある琴の浦のリハビリテーションセンターの隣の体育館で、障害者が集まって練習していた。
月に1回、御坊から1時間かけて車を運転して練習に行った。
今まで健常者と共に生きてきた私は、障害者がスポーツするのを初めて見たので、健常者の目から見てしまっていた。
ルールを覚えて試合をしてもらったけど、簡単に負けてしまった。
勢いよく飛んでくるボールを一球も返せなかったことに、とても悔しい思いをした。
彼らのボールの裏にある努力と練習は一つ一つの障害を乗り越えた証なのだと思った。
私はその奥を見ようともせず、上辺だけで感動している自分が恥ずかしくなった。
練習に行っているうちに、気持ちの通じあえる仲間もできた。うれしかった。
私には幼稚園から健常者の友達しかなく、障害者の友達がいなかったからだ。
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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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