9人の乙女の碑には《『みなさん、これが最後です。
さようなら、さようなら……』の言葉を残して静かに青酸カリをのみ、
夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争は再びくりかえすまじ。
平和の祈りをこめて尊き九人の霊を慰む》と書かれています。
現在ロシア領サハリンと呼ばれるかつての樺太では
1945年8月15日の終戦の混乱の中、多くの日本人が死んでいきました。
8月6日、米軍による原爆が広島に、9日には長崎にも投下されました。
その日、ソ連は日本がこの戦いに負けると思い
「日ソ不可侵条約」を結んでいたにもかかわらず一方的に破り、
満州、樺太、北方領土に侵攻しました。
北緯50度の防御線はまたたく間に突破され、
ソ連軍は戦車を先頭に怒濤のごとく南下してきました。
日本が無条件降伏を受け入れ、軍の攻撃停止を命じた玉音放送の翌日16日、
ソ連軍が上陸。20日、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、
町は炎につつまれ、戦場と化しました。
この時、24時間体制で電話交換業務を続けていた9人は
緊急を告げる1本だけ残った電話回線を使い、
町の人々へ避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るため、
彼女らは職場を離れませんでした。
ソ連兵が目前に迫ったことを知り、
最後のメッセージを別の郵便局に伝え、
静かに青酸カリのプラグを引き抜きます。
ソ連の侵攻作戦の真っ只中で、最後まで通信連絡をとり、
若い生命を投げ打った真岡郵便局電話交換手9人の乙女の悲劇を描いた真実の話がこの映画です。
投稿者プロフィール

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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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