私と一緒に食事に行ったことがある方は、私に苦手な食材が多いことにびっくりする。
私に対するイメージが変わったとあきれてものが言えなくなる方、
「野菜食べなあかんで」と説教する方、
「病気になっても自業自得やで」とお肉を皿に取ってくれる方など反応は様々だ。
食わず嫌いなのだが、20歳まで、豆腐もチーズもきのこも白菜も筍もピーマンもホウレンソウも芋も食べたことがなかった。
そこで明石市のカルチャースクールの中の料理教室に通った。
自分で作ったものなら食べられるのではないかと思ったからだ。
しかも目の前にそれしかなく、材料費と授業料まで払うので食べなきゃ損というプレッシャーをかけながら、食わず嫌いの食材をはじめて食べることになった。
それからは、少しずつ食べられる食材を増やしていき、偏食は減った。料理教室で、私はよく魚担当になった。
周りの人は魚を気持ち悪がって触りたがらなかった。
私は父が釣りをしていて魚をさばくのは得意だった。
家族の名誉のために言っておくが、皆平等に盛り付けられているのを私が嫌いな食材を父や母や弟のお皿に移したり、残したりで避けていた。
毎回叱られながらもわがままを通し続けた。
私が通った御坊小学校も御坊中学校も給食がなかった。
他人のせいにはできないが栄養のバランスを考えてくれた給食があったらと思う。
見栄や意地もあって人前で好き嫌いがあることを知られるのが格好悪くて、何でも食べられる子になっていたかもしれない。
親に叱られるのは平気でも友達に変な眼で見られるのは耐え難い。
母は、私の偏食を改善するために調理方法を変えたり、味付けを変えたり涙ぐましい努力をしてくれた。
外から見えないようにキャベツはお好み焼きに、玉ねぎはチキンライスに入れたらわからなかった。
大根や人参は、おろしにして、芋はつぶして口触りを良くした。
ドレッシングをポン酢に変えたらレタスが食べられた。
それでも、キュウリやトマトが苦手で、特にマヨネーズがかかっているとダメなので、サラダは今も避けている。
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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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