一番悲しかったことは仲良かった友達から「○○ちゃんとこで一緒に宿題をしましょう」と誘われたときだ。
お菓子食べながらしゃべる宿題パーティーだが「放課後4時に○○ちゃんとこへ集合」ということになった。
みんな自転車で、学校から帰って宿題を持って自転車でその子の家に行ける。
誘ってもらってうれしかったし、私も行きたかった。
しかし、私は朝母に車で送ってもらって授業が終わったら迎えに来てもらっていた。
そうすると寄り道ができない。
しかも自転車に乗れない。
自転車に乗れないということは思春期の私にとれば大きなことだ。
これがとても悲しくて、クラスの全員ができるにもかかわらず、私一人だけができない。
私は何か取り残されたような気持ちになった。
「悲しくて辛くて「なんでこんな身体なんだ。こんな身体に産んでくれと言った覚えはない」と思った。
練習して自転車に乗れるものではない。
泣いても解決しないことはわかっていた。
いっそ死んでしまったほうがいいのではないかと深刻に受け止めてしまった。
将来への不安を胸に遺書まで書いて悶々と過ごしていた。
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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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