5年生の夏だった。
プールの授業があった。
私は、家族でよく海水浴に行ったが、浮き輪がないと泳げなかった。
学校は浮き輪が使えないし私だけ浮き輪というのは恥ずかしくて嫌だった。
6年生で担任となるS先生は、昭和28年7月18日に和歌山県中部におこった大雨による水害の経験者で私を泳げるようにしたいと考えてくれた。
担任のY先生はじめ多くの先生方が、職員会議で前向きに話し合ってくれたのだろう。
着替えなど不自由なので母も一緒にプールに入ることでプールの授業を受けることができるようになった。
体育のK先生は、黄色の帽子に黒いリボンをつけることにして、泳げるレベルに合わせてグループ分けた。
私は泳げないグループだった。
顔つけから始まって手で水のかき方、足の動かし方など丁寧に教えてくれた。
他の子は教えられたとおりにすればすぐに前に進む。
あっという間に上のグループに進んでいった。
私はいつまでたっても黄色のままだった。
それで夏休みのプールの日には一日も欠かさず参加し、練習し距離を伸ばした。
努力のかいがあって、15メートル泳いで1本のリボンを付けてもらった。
そして25メートルもクリアして2本目のリボンを付け、5年生は終わった。
6年生の一番の目標は50メートル泳ぐことだった。
かなり頑張ったおかげで先生や友達の見守る中、とうとう50メートルのプールの端から端まで泳ぐことが出来た。
皆も拍手してくれ、私は本当にうれしかった。
その時はとてもしんどかったけれど、がんばれば私にもできることがあるという自信となった。
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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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