小学校の入学にあたり、施設の方がいいのだろうか、養護学校にしてもらおうか、家族はいろいろ思案した。
教育委員会の就学前の適性検査があった。
教育委員会は和歌山市にある養護学校を紹介してくれた。
そこで父母と見学に行った。
寮もありきれいだった。
私は心の中で「幼稚園の友達と離れるのはいややなあ。」と思った。
それは言葉にできない叫びだった。
私は、入院中絵本を読んでもらっていたので「右」も「左」も「赤」も「白」も答えられた。
しかも幼稚園で「あいうえお」も書けた。
学力には問題がないということで、父母は、和歌山市は遠いので、地元の学校を希望した。
地元の小学校に通うのに困るのはトイレだった。
父は当時まだ市場にあまり出回っていなかったポータブルトイレを探し買ってきて、女子トイレの一つの壁に手すりを取り付け、ポータブルの洋式の便器を置かせてもらうことで、入学を許可してもらった。
おかげで健常児と一緒の学校へ入学できた。
母は私の送り迎えのため車の運転免許を取ってくれ、その後十二年間、毎日朝夕送り迎えしてくれた。
弟を妊娠していた時も臨月でハンドルが回らなくなるまで運転していた。
七歳にして、私はお姉ちゃんになった。
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車いすの元気配達人として全国講演活動をしています。子どもから大人まで90分のお話しがあっという間だったと好評です。そのバイタリティーがどこから来るのか実際聴いてみてください。
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