1149、公益社団法人日本オストミー協会全国大会に参加

平成29年6月11日・12日、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長として初めて埼玉県で行われた全国大会に参加しました。全国の支部長に就任したことを報告し挨拶をしました。基調講演は、中井美穂さんでした。一時的にオストメイトになった時の話をしてくれました。装具業者の展示もあって、いいベルトを見つけました。丈夫なシールもあってこれから使おうと思いました。参加してよかったです。

1148、和歌山県障害者社会参加推進協議会

平成29年6月9日、和歌山県障害者社会参加推進協議会がビッグ愛で開かれました。和歌山県下の障害者団体の長が集まって、和歌山県の障害者の雇用状況を和歌山県労働局の方からの説明を受けたり、質問したりする会でした。私は、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長として初めて参加しました。和歌山県は法定雇用率をクリアしている企業が多いそうです。障害別では肢体障害者が一番多い。

1147、障害者週間に合わせた初心者研修・年末研修

公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部では、2年以内に手術によってオストメイトになられた方を対象に、障害者週間に合わせ研修会を開きました。「パウチの取り付け方」「痛み・ただれ・臭い・かゆみ・接着剤」などの悩みについて、ドクター、先輩オストメイト相談に乗りました。装具業者のサンプル展示もありました。相談に先立って、公立那賀病院外科医の木下博之氏の講演がありました。演題は「直腸がんに対する最近の治療~腹腔鏡下手術と抗癌化学療法~」参加者らは、真剣に耳を傾けそれぞれ自身の悩みを分かち合いながら有意義な研修でした。

1146、温泉親睦日帰り旅行

2016年11月17日、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の親睦旅行をしました。オストメイトは、お風呂に入るのに抵抗があります。そこで皆で一緒に温泉につかりながら肌と肌との触れ合いの中で理解と安心を共有するために温泉旅行を企画しました。和歌山県が補助金を出して購入しているリフト付きの福祉バスの抽選で1日借りることができたので日帰りの近場の中津荘の温泉になりました。食事を一緒にして、押し花で年賀状を作成するなど楽しいイベントでした。

1145、初めての近畿支部長会議

平成28年10月23日、私が公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長になってはじめて近畿の支部長の会議に出席しました。兵庫県が当番ということで神戸市に行きました。和歌山からは、副会長と二人で参加しました。奈良県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県の支部長や役員と本部から会長と事務局が来てくれました。私は何もわからないまま北国を聞いているだけでした。どこも会員が減少をして運営が厳しいという話でした。内部障害者は、自分が障害者だということを人に知られたくない人が多いので勧誘もしにくい現状があります。

1144、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑧

45歳にして人工肛門という友達が出来ました。これからは一生仲良くお付き合いをしていかなければいけない身体の一部となりました。取り外しが面倒くさいし、障害も増えてしまいました。でも私は生きている。神様、仏様、ご先祖様に守られて生かされているのです。この世にまだ私に与えられた使命があるのかもしれません。何回も死にかけたけど、命ってかけがえのない大切なものだから、助かった命に感謝して、恩返しのできる活動をしていきたいのです。お世話になった方に直接でなくても私を必要としてくれる方がいたら私のようなものでも誰かの役に立ちたい。そんな思いでこれからもがんばっていきたいと思います。

1143、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑦

平成28年5月14日の総会にて、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部の支部長に就任しました。この会は人工肛門、人工膀胱を装着している患者会です。大腸がんや膀胱がんが原因でストマにパウチを装着することになった人がほとんどで私のように潰瘍性大腸炎の患者はあまりいません。手術をして5年程たってやっと安定して外出も心配なくなりました。それまでは、汗をかくと外出中に便が漏れ出たり、夜布団を汚したり大変でした。悪戦苦闘で試行錯誤してやっといいパウチと出会え外れにくくなりました。大腸がないので水分の吸収ができず下痢状の便が出ます。だから処理が大変なのです。膀胱の方は常に尿なのでもっと大変です。前任の支部長が85歳ということもあり受けさせてもらうことになりました。手術してすぐの頃の不安を取り除いてくれたのもこの会なので、これからはストマの悩みをお持ちの方の役に立てるよう会運営に携わっていきたいと思います。

1142、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑥

今、全国あちこちで命の大切さを講演させてもらっていますが「大腸がなくなって大変でしたね」と言う質問に、「大腸がんにならないと喜んでいます」と答えて笑いをとっています。今では、何でも食べることが出来ます。それが何よりありがたいなあと食べる喜びを味わっています。

1141、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶⑤

37歳からは、下痢だと思ってトイレに行くと便器が真っ赤になるほどの出血で貧血となり倒れ、半年に一回の割合で入院しました。それでも間一髪のところでいつも助かりました。その時、私は生かされていると感じたのです。一番つらかったのは、入院を気付かれないようにいろんな会議に出席したことです。まちづくり会議わいわいGOBOの会長の時は、夜の会議に病院を抜け出さなければなりません。外出の許可は取っていても消灯時間に遅れ看護師さんに注意されたり大変でした。御坊市身体障害者福祉協会やウイズ・ア・スマイルや異業種研鑚会の会長もがんばっていた頃です。ずっと薬で抑えていましたが、とうとうボロボロになった大腸ともおさらばする日がきました。断腸の思いという言葉があります。腸を断つほど苦しいという意味です。大腸を全部摘出する手術を緊急にしなければ命が持たないという判断でした。45年大腸よ!ありがとう!

1140、公益社団法人日本オストミー協会和歌山県支部長就任挨拶④

33歳といえば、障害者卓球と出会いパラリンピックをめざして卓球の練習に明け暮れていた頃です。足が痛くなり痛み止めの薬を飲んでいました。胃を悪くしたので座薬を使いました。それが腸への負担となったのです。薬は、出血の引き金になったのですが病名は、潰瘍性大腸炎という難病でした。小さい頃から、天ぷら、焼き肉、から揚げなど油っこいものが大好きでした。でもこの病気になって食べられなくなりました。それがどんなにつらかったことか。腸が悲鳴を上げていたんですね。