1032、中学生の主張「生きている喜び」

近ごろ、青少年の自殺が増えてきているように思います。毎日のように新聞に中学生や高校生の自殺が出ています。どうして自分で死を選び命をたつのでしょうか。自殺しなければならないほど苦しいことがあったのでしょうか。わたしはどんなに苦しいことがあっても生きていれば、きっと生きている喜びがわかるということを言いたいのです。

 わたしは、5年生の時ヘレンケラーの本を読みました。この本を読んで生きている喜びがわかったのでした。三重の苦しみを持ったヘレンケラーに比べれば、ずっとしあわせだということがわかったからです。わたしは階段を登るにもおりるにも友だちの手を借りなければなりません。そのたびにみんなと同じように走ったりすることができたらなと思いました。しかしわたしは目も見え、耳も聞こえいいたいことが自由にいえる。だからこそ、今のように元気で生きていられることがありがたいのです。ヘレンケラーはからだの不自由な人々に、勇気を与えてだれにも負けず、望みを失わず、明るく生きることを教えてくれました。わたしは望みを失って自殺をしようとしている人にせいいっぱい生きて、生きている喜びを味わってほしいと思います。

 死んでしまえば楽になると思っている人が多いでしょう。死んでしまえば楽になるのでしょうか。れいのわかる人は、もっと苦しい世界にはいるといいますがそのようなことはわたしたちにはわかりません。

しかし、あとに残った人々がどのように悲しむかなど考えてもみなかったでしょう。人のことを考えもしないで自分かってに、命をそまつにして、自殺するような人が許せません。と同時にわたしたちは決してひとりでは生きていくことができません。それなのに、大切な命をそまつにしないようにしてほしいと思います。

1031、「中学生の主張」に出場

私は、ここ20年ぐらい前からあちこちで講演させてもらっています。今回初めて母校ということで、40年前の私を探し出しました。昭和53年1月22日日曜日、勤労青少年ホームで行われた御坊ライオンズクラブ主催の日高地方第1回「中学生の主張」という弁論大会へ出場したときの原稿です。この弁論大会については、1月25日の紀州新聞の「今日に思う」でH氏がコメントを寄せてくれています。また、その日の水曜随想では当事の御坊市教育長高垣俊雄氏が、2月15日には㈱千寿堂専務の高間英幸氏が平成9年2月18日には岡本殖産社長岡本崇氏がそれぞれ感想を書いてくださっています。その原稿を生徒の前で読みました。

1030、母校御坊中学校で講演して

母校御坊中学校で講演をさせていただきました。入学して30年経ち、同級生のお子様がいたり、先生が私より若かったり、時間の経過を感じさせられました。しかし、私の入学に際して取り付けてくれた玄関の手すりなどそのままの形で残っていて、校舎も体育館も同じでうれしかったです。当事友だちに手を貸してもらわなければ上がれなかった段差がスロープになっていたのには驚きでした。これがバリアフリーなんだと。こんな言葉もなかった時代ですから。それより驚いたのは、生徒数が半分になっているではありませんか。6クラス240名いた私たちの半分なのです。少子化を改めて感じました。人口も減っているけど子どもがこんなに減ってしまって。でも私の同級生も大学に出たまま都会で生活している人が多いし、市外へお嫁に行ったり、私のように独身だったり、結婚しても子どもがいなかったり、親たちの世代ように多くの子どもがいるなど少ないです。

1029、「人権の詩2019」で理事長賞

和歌山県人権啓発センターから「人権の詩2019」の理事長賞に選ばれました。11月23日の和歌山ビッグホエールで開催された「ふれあい人権フェスタ2019」でパネル展示されました。

   おもいやり

いけますか

大丈夫ですか

お手伝いしましょうか

その一言で

やさしさ

おもいやり

気づかい

あなたが分かります

きれいでも

かっこうよくても

化粧が上手でも

この一言をかける勇気が

一番すてき

あなたのおもいやりが

町中にあふれる

そんな和歌山が大好きだ

1028、キッチンのリフォーム(産経新聞)

キッチンのリフォーム

 先日、キッチンをリフォームした。自宅を新築した38年前から毎日使っているキッチン。朝昼夜の家族の食事を支えてくれた。和洋中華何でも母は作ってくれた。煮物、炒め物、揚げ物などを楽しそうに作る母の後ろ姿を見ながら食器をテーブルに並べる。取れたての魚もうまく刺身にする包丁さばきはプロ並みだ。

家族が健康で毎日そろって台所で食事を囲める幸せをかみしめている。目を離した隙に吹きこぼれたおかいさん(茶粥)、ガスを消し忘れて焦がしてしまった鍋。電話に夢中になって火事になりかけた天ぷら油。誕生日にはご馳走が並ぶ狭い空間だが母のお城。思い出いっぱいのキッチン。

ある日、母がシンクを汗だくになりながら磨いていた。私は「もうすぐ捨てるのにそんなにきれいにすることないじゃないの?」と言った。「長い間使わせてもらったお礼の気持ちよ」と母は言った。

リフォームの日が来た。母は取り外されたシンクを寂しそうに眺めながら、新しいキッチンを喜んでいた。業者が帰って家の隣の畑を見た。なんと畑の入り口に捨てたはずのシンクが堂々と君臨していた。「まだ使えそうだったから、ここに置いてもらった」と母は言った。新しい命を吹き込んでシンクは生まれ変わった。これからは、泥のついた大根や芋がきれいになって家族の笑顔が待っているキッチンに運ばれてくるのだろう。シンクの第2の人生のドラマはスタートを切った。

1027、産経新聞に掲載される⑤

産経新聞、令和元年10月19日の朝刊の1面「朝晴れエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 「夕焼けエッセー」は平成14年4月1日から関西圏の産経新聞の夕刊に掲載していたエッセーです。平成28年2月から朝刊に「夜明けのエッセー」として北陸や中四国、南近畿に掲載された時から私は毎日楽しみに読んでいます。読むだけでなく投稿もしようとチャレンジして平成28年5月13日の「うどんのネギ」と平成29年1月7日の「父母のメール」と平成29年8月9日の「新しい足」と平成30年8月29日の「母の付添い」に続いて今回で5回目の掲載となります。今年の4月からは、「朝晴れエッセー」となり、全国にエリアが広がり応募者も増えて、採用基準も高まり審査が厳しくなりました。そんな中での掲載でとてもうれしいです。

1026、首の手術成功

母は、手が上がりにくいだけではなく、足もしびれていて歩くのも一苦労の状態でした。労災病院では、検査の結果、首の手術が必要ということになりました。首の手術と言われて何となく怖いイメージがありいろんな人に相談すると同じような症状の方がいました。励まし合いながら情報交換しました。まず手術の説明を聞きに私も行きました。首の骨を切って開いて、神経に触っているのをなくして、戻らないように人工骨を入れるそうです。15センチほど切るということで血糖値を下げるため早めに入院しました。大きな手術だったにもかかわらず、回復は早く、あの苦しそうだった母が、すっかり良くなってスタコラ歩けるようになりました。ご心配おかけしましたが元気になり退院しました。医療技術の進歩と医師をはじめ病院の関係者のおかげです。ありがとうございました。

1025、母の病気

平成30年6月に地元の病院をはじめて受診した時のエピソードです。この日、首のMRIを取ってもらい神経が細くなっているところがあることがわかりました。そこで大きな病院を紹介してもらうことになりました。希望を聞いてくれたので以前日高病院に勤務していた整形外科の麻埴生先生に労災病院で腰の「すべり症」の手術をしてもらっているので労災病院へ紹介状を書いてもらいました。「すべり症」が完治して外来が終わったところでした。なかなか予約が取れず7月になって労災病院へ行きました。

1024、母の付添い(産経新聞)

81歳の母が、右手が上がりにくくなったと言うので、車に乗せて病院へ付き添った。母は、車から降りると、後部座席に積んでいた私の車いすを手際よく出して、運転席のドアの前に広げてくれた。私「右手痛くない?」母「大丈夫、上がりにくいだけ」と。

 母は、私の車いすを押しながら、整形外科の診察室に入った。医師は「どうされましたか?」と私に向かって、聞き始めた。私は「患者はこっちです」と母を指さした。「あーそうでしたか」と、医師は私の方を見てまちがったことをわびた。整形外科に車いすで入ってきたら、誰が見ても患者だと思う。

 医師は、あらためて母に「今日はどうされましたか?」と聞いた。

 私は、既往歴や服用中の薬から始まって、今の母の病状を詳しく説明した。医師は、私の言葉を遮るように「ご本人に聞いています」と。私は、母の付き添いの責任を果たそうと雄弁に語った。「付き添いの方はあちらでお待ちください」とまで言われた。このやかましい付き添いは何もんなのだろうと思ったに違いない。

 今まで私の身体のことで、どれだけたくさんの病院に母に付き添ってもらったことか。仮死状態で生まれ、あちこちの病院に入院し、何度も手術を繰り返し、やっと車を運転できるようになった。こんな時こそ親孝行ができる付き添いがうれしかった。これからが恩返しの本番だと思う。病気にはなってほしくないけど、病院の付き添いでも、買い物でもドライブでも付き添ってあげたい。いつでも言うてね。

1023、産経新聞に掲載される④

産経新聞、平成29年8月28日の夕刊の「夕焼けエッセー」と29日の朝刊の「夜明けのエッセー」とウェブサイト産経WESTに私の書いたコラムが掲載されました。

 平成28年5月の「うどんのネギ」と平成29年1月の「父母のメール」と平成29年8月の「新しい足」に続いて今回で4回目となります。