柳岡克子の生い立ち 24、薬学部の勉強

薬学部の授業には実験をし毎回レポートを書かなければならない。
座学を午前中に終え午後から実習となる。
私も実習は必須の科目なので一緒にした。
しかし長い時間かき混ぜる作業などは座ってさせてもらった。
英語の実験書を日本語に翻訳する係りになってできるだけ身体に負担の少ないようにグループで考えてくれた。
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柳岡克子の生い立ち 23、総合大学のメリット

理科の先生の免許が取れる薬学部に行きたかったが、単科大学ではなく総合大学をめざした。
それは、友達が薬剤師ばかりになるのはつまらないからだ。
せっかく家を離れるのだからいろんな学部の人と交流したかった。
大阪の伯母の近所に総合大学の薬学部があった。
そこなら伯母に世話になりながら生活できるので親も行かしたかった。
しかし、合格できなかった。
当時の神戸学院大学は、神戸市の西区にあって田んぼの多い田舎だった。
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柳岡克子の生い立ち 22、明石混声合唱団に入って

日高高校時代に合唱部に所属し、OGとして定期演奏会を聴きにいったり、OBOGのステージに知っている曲がある時に立たせてもらった。
大学では薬学研究会に入ったので音楽から離れることになると思っていた。
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柳岡克子の生い立ち 21、薬学研究会に入って

クラブは何にしようか迷った。
楽しそうなサークルからの勧誘もあった。
しかし、寮の先輩から薬学部の勉強がしんどいことを聞かされあまり遊んでいられないと思った。
高校では、理系のクラスで真ん中だった。
だが、大学で友達になった子は、皆高校でトップクラスだった。
医学部を受験して、浪人して失敗した医者の息子もいた。
卒業直前まで同じ歳だと思っていたら免許証を見せてもらって浪人して年上だった子もいた。
わかった後も「先輩と呼ぶな」と言われた。
ぎりぎりの成績で合格した私は、一般教養では「優」をもらえたが、専門は難しかった。
賢い先輩を見つけて去年の試験のコピーを手に入れるのがいいと聞いた。
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柳岡克子の生い立ち 20、明石市の料理教室

私と一緒に食事に行ったことがある方は、私に苦手な食材が多いことにびっくりする。
私に対するイメージが変わったとあきれてものが言えなくなる方、
「野菜食べなあかんで」と説教する方、
「病気になっても自業自得やで」とお肉を皿に取ってくれる方など反応は様々だ。
食わず嫌いなのだが、20歳まで、豆腐もチーズもきのこも白菜も筍もピーマンもホウレンソウも芋も食べたことがなかった。
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柳岡克子の生い立ち 19、あすか寮での生活

あすか寮という20人が共同で生活する寮に入った。
薬学部が多かったが栄養学部や法学部、経済学部の先輩もいた。
同期は8人。薬学部4人、栄養学部2人、法学部2人だった。
広島県や愛媛県、島根県など通えないところから来ていた。
和歌山弁が通じないのもあり大笑いした。
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柳岡克子の生い立ち 18、神戸での生活

下宿も、膝が曲がらないので、足を伸ばしたまま入れるお風呂のあるところを探した。
そして、親切な大家さんが近くにいる寮が見つかり、神戸での生活が始まった。
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柳岡克子の生い立ち 17、車の運転免許

大学に合格したものの御坊から離れなければならない。
御坊からは通えないからだ。
神戸は受験で行ったのが始めての地で親戚も知り合いもいない。
そこで出発までに2つの大きなネックをクリアしなければならなかった。
神戸は坂が多く私の力では車いすが使えない。
自転車に乗れない。
もちろん単車も乗れない。
バスは階段があるしタクシーで毎日通うのはお金がかかる。
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柳岡克子の生い立ち 16、薬学部に合格

振り返ってみると、私は生まれたときから医師や看護婦さんに命を救ってもらった。
だから医療の分野で恩返しがしたいと思った。
仮死状態で産まれた時からお医者さんに手術してもらい看護師さんやリハビリの先生にお世話になった。
多くの医療関係の人に助けていただいたこの命だから何か医療関係の仕事でお役に立てたらいいなあって思っていた。
年が明けても大学を選ぶに当たって医療の分野にするか理科の先生になるかで悩んでいた。
医学部は、私の成績と偏差値が費用のことを考えると国公立は届かなかった。
仕事ができるかどうかの体力も必要な看護師は難しかった。
出来れば和歌山県内で理科の先生をめざそうと考え和歌山大学の教育学部を受験するため、5教科7科目も勉強して共通1次試験を受けた。
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柳岡克子の生い立ち 15、受験勉強

3年生が近づいてきた。
進路を決める時期だ。
家族はこれから先の自立への道を模索した。
私は理科と数学が得意だった。
退屈な体育の時間のおかげで小学校の図書室の本を片っぱしから読んだ。
中でも「なぜなに事典」をよく読んだので理科が好きだった。
理科の先生になりたかった。
子どもたちに身の回りの不思議を感じてもらい「なぜ・どうして?」と考える子どもを育てたいと思うからだ。
それで理科の先生の免許のとれる大学ばかり探していた。
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